以下は私の雑文ではなく、折に触れ、印象に残った長短様々な言葉たちです。青字は私のコメントです。 |
私の選んだ言葉
ブルックナーという人は無類の独創性を背負わされた大音楽家の一人のくせに、そ
のためにかえって一生自信をもつことに成功せず、不安の塊に苛(さいな)まれ続け
た人であった。作曲することが、彼には唯一の救済の道であると同じ位彼の苦しみの
源泉になった。
ショルティのブルックナーの中には、この天才の魂の中を吹き抜け、吹きすさんで
いた嵐(あらし)の一端がきける。
(吉田秀和「音楽展望」、97年11月18日「朝日」夕刊)
しかし天才でない凡人も同じなのだ。誰にも個性があり、それに自信がもてずに苦
しんでも、その個性を生きることにこそ救済がある。
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「あの子は夢を見ている」
「よろしいじゃございませんか。夢を見るのにお金はかかりませんから」
「世の中の仕組を簡単に考えすぎている」
「難しく考えすぎて引っ込み思案の怠け者になるよりは、数等ましでございますよ」
(井上ひさし『四千万歩の男』(三)P300)
市民社会は思弁でなく実践である。
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わが子にふりかかった不幸を恨まない親など、どこにもいない。しかしそのことを
子ども自身の問題として、また自分たちの問題として、前向きにとらえていくことを
何の抵抗もなく受け入れられる親は、そうそういるものではない。
浜辺祐一『こちら救命センター』
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早すぎる知的理解は、人間が体験を味わう機会を奪ってしまうのである。さりとて
「知る」ことがなさすぎると、災害をどんどん拡大していって収拾がつかなくなって
しまう。実際には、ある程度のことは知っていても、事が起こるとあわてふためき、
それでも知っていたことがわっと役立ってきて収まりがつくという形になることが多
い。
河合隼雄『こころの処方箋』
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親が子供に向かうというのではなくて、子供が親に向かうというのでもなくて、親
と子供が同じ方向を見ればいいだろうと思う。
…………………
家庭とは、ほんとうに私たちが安心して失敗することのできる場所。失敗しても、
それで迷惑をかけた相手に憎まれないというか、その上であらためてお互いに和解し
合うことのできる場所、その基本的なモデルです。そういうところで私たちは注意力
をまなぶ。その結果、私たち信仰を持っていない人間にも、お父さんやお母さんや娘
や息子がひとつの方向に目を向けることができるようになる。そしてそれは家族にお
ける上下関係、家族における圧政を伴うような、権力を伴うようなハイエラーキー(
階層組織)とは違ったかたちを発見していく、そのための出発点たりうるものだと思
います。
大江健三郎『あいまいな日本の私』
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教えるとはともに希望を語ること。学ぶとは誠実を胸に刻むこと。
アラゴン
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生活は、重荷に思ったり憎んだりはできるが、軽蔑することはできない。
チェーホフ『六号室』
生活を重荷に感じて、それを憎むなら話はわかりますが、生活をけいべつするだな
んて、もってのほかのことですよ。
同 米川和夫訳
なるほど、苦しいこともいっぱいあるから生きてるのが憎らしくなることもあるっ
てことよ。だけどね、暮らしってものをバカにしちゃっちゃあ、お終いよ。
同 車寅次郎訳(?)
ちょっと『六号室』とは違うなあ。ま、いっか。
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自分のつまらなさを認識するのは、神様の前や、知恵の前、美の前、自然の前であ
って、人間の前ではあるまい。人間の前では、自分の価値を認識しなければならない。
君はペテン師じゃなくて、正直な人間なのだろう?だったら、自分のなかの正直者を
尊敬し給え。《謙虚である》ことと、《自分のつまらなさを認識する》こととを混同
してはいけない。
チェーホフが弟にあてた手紙
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家庭と仕事は両立しない。しかしそのどちらか一つが欠けても私は生きてゆけない。
紫門ふみ『フーミンのお母さんを楽しむ本』
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どうして自分がこの作品に感動できないのだろう、自分に何か欠陥があるのではな
かろうか…そんな不安を心の中に抱いたことのあるかたも、きっといらっしゃるにち
がいありません。
しかしそこでちゅうちょすることはないのです。…それは決して見る側が貧しいの
でも作品の質が劣っているのでもない。そこにある種の、古い言葉ですが、<縁>と
いうものが存在するかしないか、その一点にかかっているにすぎません。
五木寛之『生きるヒント』
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芽のある失敗と芽のない成功があることに注意すべきだ。
鎌田敏夫(脚本家)「朝日」夕刊 95.4.28.
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愛する−それはお互いに見つめ合うことではなくて、いっしょに同じ方向を見つめ
ることである。
サン・テグジュペリ
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現代人がバッハに学ぶ教訓−流行に乗って安易なことをしてはいけない。めんどう
なことをきちんとやれば、必ず時代を超えられる。
西村朗(作曲家) NHKFMでの発言 95.11.16
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迷っているとか、わからないということをそのまま口にできることの大事さみたい
なものが、今の世の中で、もっとほしいなァて思いますね。
……………………
だいたい親が心配するってことってのは、ほんとは心配しなくてもいいことを心配
してる時が多いでしょう。心配しなくてもいいことは合理的に心配しないってのはち
ょっと、親じゃないんじゃないかって思いがあることはあるんだけど。余計な心配を
しますね。
山田太一他『こんな大人になっちゃった』
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家庭における障害児が持っている「癒し」の力ということから、私は核時代の病ん
だ社会に対する、被爆者の「癒し」の力を考えるにいたりました。
大江健三郎『あいまいな日本の私』
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チェーホフは言葉や頭だけで楽天家になり得ない人であって、真のオプティミズム
が、歴史と生活におけるたたかいによって一歩々々獲得すべき性質のものであること
を身をもってしめした人にちがいない。
石母田正「わたしのチェーホフ」
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人間が人間に及ぼす影響のなかで、もっとも深い部分を揺り動かすものは何だろう
と考えてみるとき、友情や信頼、無償無私の行為といった、人間の美質がもたらす抗
いがたい力を、思わないではいられません。作品の上で実現することの困難さ、未熟
な者が希うことの無謀さを思い知る一方で、そこから目を離しては書く意味も無くな
る、と、遠い声がします。
高樹のぶ子『その細き道』あとがき
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文学は目の前の飢えた子供を救うことはできないが、十年後の飢えた子供を何人か
減らすことはできる。原理的には文学は時代にコミットする力を持っている。
池澤夏樹 「朝日」夕刊 97.2.25
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自分を人間らしくするための役割を音楽あるいは文学というものが持っている。…
現実生活を無視しろといっているんではない。現実のなかで苦しくたたかって生きて
いるわけですね、少し強くいえば。そのなかで自分を客観視する人間らしい自分とい
うものを、発見するというきっかけに音楽とか絵とかがある。
大江健三郎 「赤旗」98.5.17.
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日本では、戦後、都市というものは営業の空間として考えられてきました。都市の
もっている特徴を考えながら都市の文化をつくっていくという努力、あるいは都市に
必要な共同消費手段を住居に関連してつくっていくという、そういう考え方がありま
せん。
宮本憲一『都市をどう生きるか』
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たしかに人間には考える力があり、知性があるのですが、人間がまるごと人間らし
いかどうかは、人間の感性のあり方の深みからとらえられなければならないとおもい
ます。人間は深く感じないことはよく考えもしないのです。それは、人間が自然の一
部であり、自分の身体をもっており、その身体という自然のあり方がどれほど人間ら
しくなったかは、なによりもまず、人間の感じ方にしめされるからです。
島田豊『学問とはなにか』P178
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水田の風景が実に美しい。それも「人の手が入った」、人と自然がつくる美しさだ。
石垣の田、水に浮かぶ散居村。まさに造形美。稲の干し方も各地で違い、理由がある。
美しさの背後に知恵がある。だから目が喜ぶ。
佐田智子 「朝日」夕刊 98.6.4.
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わたしは「理屈」をあまり信用できない。理論によって鍛えられない体験は結局不
毛だが、体験の裏打ちをもたない理論もまた血肉になりにくいと思っている。そして
「体験」の切実さは理論の強固さをはるかにしのぐ。
たとえば『出征』という短篇ひとつの世界から、第二乙種の予備役だった陸軍歩兵
二等兵とその家族が経験した戦争を追体験することは可能なのだ。わたしたちはその
ためにこそ、想像力と感じる心という財産をもっているのではないか。
*『出征』…大岡昇平の小説
澤地久枝「いのちの重さ」
前段は理論と実践の関係、実践の優位を説いている。後段はそれと関連する
が、認識における具体的なものと抽象的なもの、特に具体的なものの役割を説
いている。文学が認識に果たす役割。実践に迫る、感性と想像力の意義。
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年末から正月にかけては、一人暮しの女が一年中でもっとも孤独を感じる日々とい
われる。どんなに愛しあっていても、妻子ある男は一年のけじめに妻子のもとへ帰っ
てゆく。
そういう「恋」には無縁であっても、一家団欒の温かさの外にいる寂しさをいう人
もある。しかし、家族がどんなに多くても、夫婦顔を揃えていても、内面の孤独はそ
のためによりいっそう深いということだってある。
澤地久枝「女一人のララバイ」
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小咄 西中亭あず生
「お父さん、おなら出ちゃった」
「え、ほんとか」
「うん」
「うんじゃないだろ。へいだろ」
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夫婦はその共通部分を関係の維持のために必要とし、対立する部分をその発展のた
めに必要としているのである。対立部分のみが拡大され、それを支える共通部分が弱
いと破局がくるし、共通部分は多くあっても、対立部分が少ないときは、その関係は
魅力を失い、冷たいものとなってしまう。
河合隼雄『家族関係を考える』(講談社現代新書'80)P64
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究極的な立場!?そんなものはお喋り以外のなにものでもない。各人が現実になにを
考え、なにをほんとうに目ざしているかは、著しく先鋭化された、アキュートな、具
体的な問題に対して、本人がとっているところの具体的な態度、その具体的な態度を
吟味することによってはじめて本人にも明確になる。
マックス・ウェーバー 脇圭平『知識人と政治』(岩波新書'73)P189
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−日本の芸能の本質って何ですか。
大衆の他人を思う心、人を思い、想(おも)う心じゃないか。あるいは人間を含め
た自然を想う心かなあ。
僕は芸能界で先生がいないんで、孤児の子どもたちとか、お年寄りとか、ハンディ
を背負った人たちから教えてもらうことが多いですね。お世辞使わない。おべんちゃ
ら言わない。素直に泣くし、素直に喜ぶし。
そこに真実がある。真実を見るっていうのは大変なことですよ。それに触れた時は
本当にもう良かったなあと。福祉と芸能って、同じ。僕の先生はこの人たちだって、
いつの日かから、そうなっちゃったんですね。
コメント:芸能界のスターになることが貧しさから脱出する最短の道と信じられた
時代に、鮮やかに軌跡を描いた一人。大衆から出て大衆に支えられ、得たものを並外
れた持続力で社会に還(かえ)し続ける。恐ろしくまじめな、胸の中で太鼓の鳴って
いる人なのだ。
ひたむきもまじめも遠い価値のように思える世紀末に、この人の「時代劇」に重ね
て、人々は自分の真実を探している。
談:杉良太郎 問いとコメント:佐田智子
「語る 季節の思想人 10月 杉良太郎さん 祭り太鼓」
(「朝日」夕刊 98年10月1日)
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私達が少年に対してできることは、小さなことです。
だけど小ささを恥じて、それをしまい込む人が多過ぎるんです。
毛利甚八作、魚戸おさむ画『家栽の人』8 P98
でも結婚の相手というのは違う。
あなたが自分で手にいれ、そして変えることのできるものです。
あなた自身が創っていくものですよ。
ねぇ、お父さん。本当の意味で娘さんはまだ結婚していらっしゃらなかったのでは
ないでしょうか?
夫婦は創るものですよ。素晴らしいじゃありませんか。
夫婦はただ一つの、弱点を許し合うことのできる社会単位ですよ。
毛利甚八作、魚戸おさむ画『家栽の人』9 P72
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本はなくても子は育つが、育ち方はだいぶ違うというのが、わたしの見解である。
本を読むことによって与えられるものは、無限の自由であり、魂の飛しょうである。
ひとたびその世界に入りこめば、あらゆる人生を生きることができるし、何に変身す
ることも許される。想像力もまたそこできたえられ、深い人間に至る道がひらかれる。
そのような自由を獲得するために本は読まれるのだから、間違っても読書に性急な
教育的価値を求めたり、いちいち読書感想文を子どもに強いたりしてはならないのは
自明のことである。
少し乱暴にいって、子どもたちの読書環境を十分に整えてやり、読ませっぱなしに
させればよろしい。
現実の世界は不自由の世界ともいえる。
ものごとが思ったようにいかず、挫折をくり返す。人生とはそういうものだ。
誰でも立ち向かわなくてはならない困難には、勇気とねばり腰がいる。そのエネル
ギーの源は、想像力だろう。
思いを巡らし、あれこれ考える人間は、短絡しないし、一直線に事を運ばない。
必然的に他者を思いやる。
読書が、子どもに与えるものは、きわめて大きいのだ。
灰谷健次郎「子どもの本が危ない」(「朝日」98.10.7「いのちまんだら」)
コメント 「知」は人間の自由のためにある。「性急な教育的価値を求めたり」
「読書感想文を強いたり」するのは権威主義的「知」であり、これが一般には
「知」そのものと誤解されている。
「生きることは学ぶこと、学ぶことは生きること」
(不知詠人 よみびとしらず)
であり、この文章は「自由のための知」をイメージ豊かに語ることで、生きる
ことと学ぶこととの統一像を見事に提出している。 |
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あなたは、ご自分の知性に自信がおありだろうか。私はまったくない。
私にはわからないことが多すぎたし、それ以上に、わかろうとする気が多すぎた。
…
しかし、わかりたいという欲望に反してわからないことがあふれているからといっ
て、知的活動そのものをきらいになる必要はないはずだ。そう気づいた日から、私は
勉強がひどく楽しくなった。もはや自分の知性に対するコンプレックスは私のエネル
ギー源でしかなかった。 P7
西岡文彦『図解発想法 知的ダイアグラムの技術』(JICC出版局 '84)
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人は必死の努力、無理な克服をしてはならない、と私は思っている。もし必死にな
ってやりとげた場合は、そのように生きた自分を振り返り、十分にいたわる必要があ
る。そして、無理を要求した社会的条件を変えていくように、今度は必死にならずに、
ゆとりをもって着実に努力をしなければならない。マンガを読むのを好む世代に即し
ていえば、受験勉強という愚劣な競争に勝ったからといって、受験勉強は貴重な試練
であると美化してはならない。それに打ち込んだ者ほど、青年期にもっと社会的関心
を豊かにできたのではないか、と自問してほしい。こうして、制度は変わっていくこ
とができる。
野田正彰「過剰代償と攻撃性」P115 (『世界』98年12月号所収)
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子供は、親たちの感ずる「深さ豊かさ高さ」によっては成長しない。親たちにとっ
ての浅薄、通俗をこそ食して成長する。ある年代の精神にとっては、浅薄通俗が水や
空気のように必要なものであり、それを絶つと成長は活力を失う。……
多くの場合、親は子供を意図通りに教育することなど出来ない。
しかし、教育をしないでいることも出来ない。存在しているというだけで、親は不
可避的に子供を教育してしまう。ただ、その多くは意図とははるかにズレた形で効果
をあげることになる。……
日常生活を共に暮す人間の関係が意識的すぎて、いいはずがない。そもそも、意識
の手におえるような代物(しろもの)ではないのだ。
山田太一『いつもの雑踏いつもの場所で』P202,203
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二人が睦まじくいるためには/愚かでいるほうがいい…/立派すぎないほうがいい
/立派すぎることは/長持ちしないことだと気付いているほうがいい/完璧をめざさ
ないほうがいい/完璧なんて不自然なことだと/うそぶいているほうがいい/正しい
ことを言うときは/少し控えめにするほうがいい/正しいことを言うときは/相手を
傷つけやすいものだと/気づいているほうがいい
吉野弘「祝婚歌」
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「感動にはつらさが必要である」……これは体験からにじみでた発言です。楽しみ
だとか感動だとかいうのは、ある意味で、つらさとか苦しみとの落差にある、そのパ
ラドックスを感知している。これは傍観者にはわからないことです。
寺内義和『大きな学力』
民主主義を口にする人ほど、「こうあるべき」がつよく、異質を排除する傾向があ
るのは困ったものです。
同
とくに、教師というのは、理屈や言語を過信しているきらいがあります。ものごと
は、「行」を積まなければ、表層しかわからないものです。言葉だけで伝えられ感化
できることはしれている。
同
受動性から小賢しい技術論が先行することがよくある。「やってやろうじゃないか
」という気迫がなければ、厳しい状況を変えることはできないのです。
同
「決断こそ幸せ」は間違っていなかった。生意気なようだが、僕の体験からでた言
葉だと思って聞いてほしい。偶然にまかせて生きていないか、どこかで今のままでい
いと思っていないか、誰かがやると思っていないか、幸福とは楽をすることでないの
なら、自分のできることを目標や課題に転化できる力が幸せになる力ではないだろう
か、その始まりが決断ではないだろうか。
同
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謙虚とかごう慢とかいわれる倫理的態度にしても、人にたいする態度であるよりも、
まず第一に、真理にたいする態度の問題であり、そうしてはじめて、人にたいする態
度ともなりうるのである。謙虚と卑屈、自信とごう慢をわかつ基準は、そこにしかな
い。民主的諸運動において、個人崇拝や派閥的観点が有害なのは、人にたいする顧慮
を第一において総括の科学性をつらぬく努力がくもらされるからである。反対に、も
っぱら総括の科学性が追求されてのみ、真理のまえの平等の基準がうちたてられ、組
織の団結もつよめられる。
島田豊「若い日の自己形成と総括の意義」
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ナンバー・ワンではなく、オンリー・ワンを目指す。
柴田智子(ソプラノ歌手) NHKFM「おしゃべりクラシック」98.10.23.
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「夢はめったにかなわないからすばらしいんです。最初からかなうものだと思った
ら挫折したときのショックが大きい。人生はもともと理不尽なものだというところか
ら出発すれば、死ぬほどつらい思いをしなくてもすむんじゃないかしら。生きること
はたいへんだけど捨てたもんじゃないよ、ということを伝えたいの」 …
「初めに舞台ありき、なんです。インディアンの居留地にも小学生のときからいき
たかったし、アフリカもそうでした。イルカのいる海も大好きでした。その舞台を生
かし、異文化のなかで価値観がぶつかりあったときの人間の姿を描きたいんです」
そこで見えたものは?
「人は望めば何者にもなれるけれども、自分以外のものには絶対なれない。その覚
悟がないと流されるばかりなんだと強く思いました」
村山由佳(作家)、聞き手・玄間太郎 「しんぶん赤旗日曜版」99.1.24
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病床で「命が助かって良かった」というファンからの手紙を何通も受け取った。
「自分がこうして生きてきたということが、それぞれの心の中に形を変えて残り、行
く末を皆が見届けたいと思ってくれてるんだということを深く感じ、言葉を失った」
と知人らに手紙を書いた。
……
「どうせ僕なんか必要じゃないんだ……なんていうのはたちの悪い開き直り、甘え
だと思うんです。だれだって、自分は必要であり続けたいと思っているんですよ」
小田和正 「朝日」夕刊 99.2.8
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「人間の幸福への道」を探求する者の第一の義務は、自分自身をあざむくことでは
なくて、あるがままのものを公然と承認する勇気をもつことである。
レーニン「ナロードニキ主義の経済学的内容とストルーヴェ氏の著書におけ
るその批判」(大月書店『レーニン全集』第1巻所収、P420)
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忠言耳にさからう 孔子
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孤独が恐ろしかったら結婚するな チェーホフ
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理性、判断力はゆっくり歩いてくるが、偏見は群れをなして走ってくる ルソー
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どれほど深く悩み得るかが、ほぼ、その人間の偉さを決定する ニーチェ
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腹の立つことは明日言え ことわざ
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いのちが生きるということは、お互いのいのちが支え合って生きているのであって、
いのちは独りぼっちで生きていけるはずは絶対ないのである。
ということは、自分のいのちは、自分で始末していいはずはなく…、あなたのいの
ちの存在が、どんな状態であろうとも、あなたを生かすと同時に、あなたにつながる
いのちも生かしているのである。
いのちは、いのちのようすが、そのありようがどうであれ、存在すること自体に価
値がある。
その真理に逆らうことは何人も許されない。
…
わたしのところに、自分はなんの値打ちもない人間で、せめて死を選ぶしかないと
いう思いで一日一日を生きているという手紙が、ときに舞いこむ。
わたしは返事を書かない。
一日一日を生きている…その一日がどれほど価値のあることかを他人に頼らず自ら
悟ってほしいと願うからだ。
灰谷健次郎 「朝日」99年2月10日
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地道に目立たず、コツコツと一生働いて暮らす人たちを笑わせ、喜ばせるのはそう
簡単なことではありません。この人たちを楽しませ、喜ばせることに懸命の、そこに
こそ人生の重さを全部かけた努力をすることこそ尊く、もし芸術というものが生まれ
るとすれば、その努力のうんと先のほうにあるのではないか、と考えます。
芸術というのはけっしてひねくれた小理屈や、判じ絵の如きものではない、それは
人をして心を開かせるもの、気持をのびやかにときほぐすもの、うんと大きく広がっ
た先に永遠の高みが見えるようなものではないでしょうか。良いものを良い、と称え
ることこそむずかしいことだと思います。良いものはとても当りまえのものだし、誰
にでもわかることだからです。
山田洋次『映画をつくる』(国民文庫'78)P195,196
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数多く体験したかどうかにことの本質があるのではなく、たとえちょっとした日常
的な体験であっても、そのときの人間の気持ちを深く感じることができるかどうかと
いうことにその本質はあるのです。
もちろん、いろいろな種類の体験をするということは大きな財産ですが、大事なこ
とはそのひとつひとつをどれだけ深く体験したのかということです。どんなに激しい
体験をしても、そのことを深く体験できている人とできていない人とがいます。言語
を絶する大冒険をした人だから、ものすごくおもしろい物語を書けるかというとそう
はいきません。私の考えでは、一見平凡な日常生活のなかに、アフリカの大冒険より
もはるかにおもしろい物語が書ける素材がたくさんあるはずなのです。
山田洋次『映画をつくる』(国民文庫'78)P147,148
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よく、都会で生活しているサラリーマンはみんな不人情で、とくに団地などはみん
な孤立してつめたく生活しているというふうにとらえた映画もずいぶんあります。そ
のとらえ方はけっして全部が間違いではないと思いますが、しかしそんなふうに暮ら
している都会の人間の一人ひとりをよく見ると、誰だって他人にたいしてやさしくし
てやりたいという気持をすこしばかりはもっている。ただそれがしたくてもできない
状態が周囲にあるので結局総体としてみると、とても不人情な集まりのように見える。
…そうであればこそ私は、いつもいいほうに光をあてていたい。映画を見る観客も
いい気持、美しい感情、いい人間にめぐりあいたいという気持が強いはずだと思うわ
けです。
これは現実を見ないということではありません。つくり手にとっては、自分の生き
ている社会の現実にたいする認識がどれだけ深く的確であるかということは大切な問
題です。…そのつらさ、嫌なこと、むごい気持というものを正確に認識する努力は失
ってはいけない。
しかし、そのことがそのまま映画になるかといえばそれは別問題です。私は、そう
した理解を深める努力をつづけていれば、そのつらさ、悲しさというのは自然に、必
ず画面に出てくるに違いない、と考えているのです。
山田洋次『映画をつくる』(国民文庫'78)P88,89
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人を理解するというのはその人と同じ気持ち、同じ考えになることなのではない。
むしろ他者との差異を明確に意識できること、それが他者を「分かる」ということで
あろう。個人間にある差異を閉じることなく、それをむしろ「交流」の契機へと裏返
し、社会性の新しいかたちを模索する。
鷲田清一 「朝日」夕刊99年4月27日
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「時代おくれ」などという言葉を、肯定的に考えたこともなかったのに、大股でス
タスタと跨(また)いでしまった歩幅の中ほどに、大事なものがあった気がして来た。
…
誰もが未来永劫(みらいえいごう)好景気と信じている時に、この歌は如何(いか)に
もうしろ向きの感じがして売れなかった。ぼくはうしろ向きのつもりではなく、足許
(あしもと)を見ることを言いたかったのだが、それを説明して歩くわけにはいかなか
った。
目立たぬように/はしゃがぬように/似合わぬことは/無理をせず
人の心を見つめつづける/時代おくれの/男になりたい
売れなかったが、この歌は消えなかった。誰かがカラオケなどで歌ってくれていた。
地味だがファンをひろげて、ある時から売れるようになった。発売から時差があって
河島英五はこの歌で紅白歌合戦の出場を果たした。そのうち、バブルがはじけた。
阿久悠 「朝日」夕刊99年4月20日
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東西ドイツが厳しい対立をしていたときにも、国民レベルの交流は水面化で行われ
ていたことを痛感しました。南北朝鮮がかつてのように、ひとつになることを最も願
っているのも民衆でしょう。民主化がすすんでいない国とも交流ができるのです。
なぜなら、病気を治してやりたい、子どもたちにいい教育を受けさせてやりたい、
環境を守りたい、文化を大事にしたいという思いは、どの国の民衆も生活者として共
通しているんです。
だから、基本的人権の尊重を高らかにうたっている「世界人権宣言」がなりたって
いるのです。
暉峻淑子(てるおかいつこ) 「しんぶん赤旗」99年3月26日
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人はだれしも自分が思った以上のことができる、これが僕の信念なんです。逆にい
えば、できないと思うくらいのことをやらなければ、人には認めてもらえない。でき
ないなら基礎からやり直せばいい。……
本当の意味できちっとした方法を学んでおけば、何にでも応用は利くんです。
林望 「朝日」夕刊99年3月26日
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不器用な男への心からの応援である。
はっきりとこれだという根拠はないのだが、このころあたりから男のタイプが変化
して来たように思う。もてる男の主流ははっきりと、背も高く、顔もよく、明るく、
楽しく、軽やかでという条件になり、それまでの男が心の支えにしていた誠実さも、
重厚さも、謙虚さもすっかり旗色が悪くなる。それは同時に、生き方に関しても言え
ることである。不器用の奥の真の強さもやさしさも、パフォーマンスがないと感じて
もらえない世の中の薄さに、少し淋しさを覚え始めていたのである。
「ピアノ」は、ピアノであってピアノでない。少しばかり器用なサービス精神と解
釈してもらってもいい。一言でいいのになあと思いながら、その一言を呑みこんでし
まういじらしい男が、ちょっと前の時代まではいたのである。
阿久悠 「もしもピアノが弾けたなら」について 「朝日」夕刊99年3月2日
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この間の経済をめぐる言説はどうですか。マクロな経済数値をもてあそんで「人間
」を見ず、時流に便乗し世の中を見下して。「市場が淘汰(とうた)する」なんて、
どんな怖い言葉を口にしているかわかっているのか。切実な思いで生きてきた人々に
比べ、なんと軽薄な。
なりわい、営みとしての経済、それを侵すものに怒りを覚えます。
内橋克人 「朝日」夕刊99年5月21日
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学んで而(しか)して思はざれば則(すなわ)ち罔(くら)し。思ふて而して学ばざれば
則ち殆(あやう)し。 論語
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根拠のある指示、確率の高い指示をしてやりませんと。……「監督の言うことは、
何でこうも当たるんだ」となれば、素直に実行してくれますから。それに、最初は指
示して、「なるほど」となれば、自然に自分から考え、工夫するようにもなりますし、
日ごろの教育、躾(しつけ)がいかに大事かは、このへんにもあるんじゃないかと思
いますけど。躾の目的は、自分で自分を支配する人間をつくることですから…。
野村克也、筑紫哲也『功なきものを活かす』(カッパ・ブックス '98)P91 |
器用な人間より不器用な人間のほうが強いんだ。なぜかと言うと、器用な人間が経
験できないことを経験するんだから。だから、不器用に生きろ。
同上 P187
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忙しがって、競い合って、慌ただしく過ごされて、わけもわからずに死んで終わる
一生、そのような一生を「よい」人生と思うことができるのなら、そのような人生に
とっての「便利さ」とは、したがってそれ自体が目的である。便利であることそれ自
体がよいこと、求められるべき価値なのである。しかし、本来、便利さとは、それに
よって節約された時間や手間を、よりよい目的のために使うことができるからこそ、
価値であったはずである。よりよい目的とは何か。決まっている。よい人生を生きる
ことである。人生の意味と無意味を自ら納得して生きる人生のことである。
……
必要でもないのに出現したものを、人は「便利」と思うわけだが、その便利さが生
活と生存に必要不可欠と思うに到る顛倒がなぜ起こるかというと、答えは至極単純で
ある。なんのために生きているのかを、考えずに生きているからである。
池田晶子『魂を考える』
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日常と事件の間に臨界線があるとする。事件ぎりぎり手前の日常側にいる人間たち。
そこにリアリティがあると思うんです。 ……
ハッピーエンドに書けるほど現実は甘くない。だけど不戦敗はしたくないですよね。
負けるとわかっても、やらなきゃならないときがある。僕はね、人間生きてあること
を肯定したいんです。
重松清(「しんぶん赤旗」日曜版 97年7月18日)
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人はみな何らかの天分を持って生まれてくる、という表現は正しいとしても、たい
ていの人はそれを開花させる機会に恵まれないまま平凡な人生を送る。世界中をそう
いう人が占めている。そういう人がみな幸せだと思える世の中でなければならない−
それが私のささやかな信条である。
入江健二『リトル東京で、ゆっくり診療十七年』(草思社'99)P2,3
著者はロスアンゼルスの開業医
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「惚れて通えば千里も一里」という諺(ことわざ)がある。
それくらい時間を超越し、自分の好きなものに打ちこめるようになったら、こんな
楽しい人生はないんじゃないかな。 ……
得手にはまれば、その人は、うんと気持ちがよくて、どんなに苦労してもいとわん
のだな。勇んで向上心がでてくる。人からみると、あんな苦労しやがってバカな野郎
だと思っても、本人にすれば大まじめで、それがいちばん楽なことで、また人から認
められるんだ。みんな伸びる性質はなにかもっているものなんだよ。
人間はみんな平等だと思うんだ。 ……
だから従業員みんなにいいたいのは、俺はこれが特長だと自分から名のりでろとい
うことなんだよ。「能ある鷹は爪を隠す」ということは大きらいなんだ。
本田宗一郎 <片山修編『本田宗一郎からの手紙』(文春文庫'98)P100,103>
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「ホーホケキョ となりの山田くん」というのは、一種の“憑(つ)きもの落とし”
なんです。例えば、恋愛したい若者たちが、アメリカの素敵な恋愛映画を見て、その
通りに自分も実現しようと思ったら大変ですよね。理想がヘンに具体的な姿で見えて
いればいるほど、現実の恋愛に踏み出すことさえむつかしくなる。今、そういうよう
なことがいろんなことで起こっていると思います。妙に高いところばかり見ていて自
分や他人に不満しかもたない。いったん憑きものを落として、自分や他人のありのま
まを認めるところから出発すれば、一歩でも二歩でも前進できるはずだ、と。
……
テレビの夜のお笑い番組や、冷酷な人間関係で笑わせようとする日常アニメなど、
品性を下劣にしないと笑えません。古典落語の笑いなどに非常にひかれますね。この
作品で俳句を使って、自分でもおどろくほど良く合うな、と思ったんですが、日本の
伝統的な文化を大切にしたい。人を楽しませ、生きやすくするための文化です。
……
「山田くん」なんかリアリズムは不可能と思われるかもしれない。だけど、「山田
くん」は非常にリアリティを大切にしています。僕は「実感」という言葉を使うので
すが、日常の人々の立ち居振る舞いの「実感」を出したい、と。漫画は、線で書いた
ものを、そのまま額面通りホンモノとして受け取るわけではありませんね。でも、描
かれた線の裏側から私たち日本人のホンモノの姿が透けて見えてくる。それに強い実
感を感じるとすれば、それはリアリティがあるということじゃないでしょうか。
アニメ界が“くそリアル”に描く方向に向かっていますが、いったい何のためか。
大抵の場合、現実にあり得ないことをリアルに描いて、あり得るかのごとく感じさせ
る。アメリカ映画のCGも多くはそうです。この世には無い快いものを、実際である
かのごとく感じさせるために、非常にリアルに描いていく。それを見ている人は、こ
の世より面白く快いものに閉じ込められて、「この世」の代わりにしてしまう。それ
ではまずいと思うんですね。「山田くん」は、そうした今の傾向にたいするアンチテ
ーゼとしてやっているつもりです。
高畑勲 「しんぶん赤旗」99年8月18日
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今、へんにマジメな人が多いでしょう?マジメで理想も持ちながら、周りが見えず、
楽しむべきことも取り落とし、前へも進めず、身動きがとれない人がどうしてこんな
に多いのか。何が足りないんだろう。そう思った時、足りないのは<山田くんのよう
な人>じゃないのかな。こんな人がとなりにいてくれたら。 ……
マジメ人間には一見太平楽な<山田菌>が有効なんじゃないか。……
真田虫ならぬ<山田虫>を心に飼っておけば生きやすくなる。ただ楽に生きるだけじ
ゃなくて、いざ何かをしなくちゃならない時に本当にやれる、そんな人になるために
も。純粋培養みたいな精神状態ばかりじゃいけない。楽器の弦だって張りすぎれば切
れますよ。
高畑勲『キネマ旬報』99年8月上旬号 P68
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何でもない暮らしを続けるのはすごく力がいる。でも、そういうのをいやだと思う
自分もあるのですか?
橋口譲二(写真家) NHKスペシャル「17歳が歩んだ10年」99年4月30日
(「しんぶん赤旗」99年5月8日「テレビ・ラジオ」欄より)
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人権というのは、条文や条件ではなくて、人間の生きる喜びまで到達したときに、
はじめて確立するのだろうと思うんです。
……
異質なものがあっていいのだということ、そこに人権を考える基本がある。異質の
ものが虐げられているならば、それを感じる心、それと一緒に生きていく気持ち、そ
の人が浮かびあがることは、自分にとってもとても楽なことなんだという考え方。そ
ういうものが一人一人にあって人間ですよ。
小山内美江子,黒沢惟昭「金八先生と語る人権教育」(『世界』99年11月号)P58
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賢くなければ女と暮らせない。とはいうものの、馬鹿でなければ女と暮らせるはず
がない。
田辺聖子「家庭ぎらい」<『結婚ぎらい』(光文社文庫'93)所収>P110
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未来はいかなる精神的貴族主義にも属せず、精神にみたされた民主主義に属する。
オプレヒト 水田洋「グーテンベルク図書組合」<第二版経済学全集月報ext.1
=宮沢健一『国民所得理論』三訂版(筑摩書房)付録>
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本気
本気ですれば/大抵のことができる/本気ですれば/何でもおもしろい/
本気でしていると/誰かが助けてくれる
安楽寺住職の書<高木仁三郎『市民科学者として生きる』(岩波新書'99)>
より P221
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不幸を生きぬく時、人間は幸せになる。不幸に押しつぶされていてはならんのだ。
三浦綾子『母』
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私から年齢を奪わないでください。これは、私が働いて手にしたものです。
メイ・サートン(アメリカの女性作家)
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現代は情報化の時代であると言われる。情報化の時代は短絡の時代である。だが、
短絡は科学の敵であり、ファシズムの友である。
高島善哉『時代に挑む社会科学』まえがき
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このところ、学校ですっかり定着してしまったいじめは、個人の尊厳の否定である。
個性を否定し、目立つ者がいるとみんなのレベルに引きずり落とそうとする。弱いと
みると、つけ込む。「いじめられる者が悪い」などというとんでもない考え方がある
が、憲法は、「強くなければ生きていけない」ような、非文化的な社会をつくろうと
はしていない。どんな人であろうと、自分の個性を大切にして、楽しく生きていける
社会をつくろうとしている。「すべて国民は、個人として尊重される」(憲法一三条
)とは、そういうことを言っている。
堀田力「憲法違反な人」 「朝日」夕刊 2001.5.2
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彼がいなくなって、彼のやっていた分の家事、育児を一人でこなすのは大変かと思
ったら意外や意外、ずっとラクである。……中略……要するに夫がいなければ手抜き
もできる。時間の使い方はすべて私の裁量で決まる。それだけでずっとラクだ。……
中略……私を疲れさせ、消耗させていたのは、家事そのものではなく、分担をめぐる
葛藤とその怨念だったらしい。
森まゆみ『走るひとり親』(学陽文庫'99)P20
家事の負担は、労働量もさることながら、彼女のいうように、手抜きと緻密の自在
な往還こそが主題なのである。つまり合理性よりそれぞれの流儀の自由の方が優先さ
れる。そうしないと、ふたりともいたずらにフラストレ−トする(欲求不満になる)
ばかりだ。……中略……実情に理念が従うことはまれにあるが、理念に実情が従うこ
とは絶対にない。人間の世界とはそういうものである。
同書への関川夏央の解説
日本の男は人と会うとすぐこいつはオレより上か下かと値ぶみをする。生活のこと
は何一つできないくせに、人を学歴、年収、会社の名、役職などで判断する。私も前
はそうだったと思います。父子家族になって生活の細々したことや子どもの心理とい
やおうなく向きあい、妻に逃げられたというバカにされる存在となることで、既存の
会社人間の価値観のおかしさがみえてきた。人間としては、こんな価値観から解放さ
れて良かったと思います。
重川治樹氏の話 同書 P65
受講生の中には、「あなたはいいわね。公務員で男女平等賃金で首きりはないし、
昇進は差別がないし、産休も退職金も年金も保障されてるんでしょ」って。いつもそ
んないやみやねたみの中で講座の企画やってるんですから気が滅入りますよ。たしか
に突き放すことも大切なのね。そんな個人間の嫉妬や羨望なんて場合じゃない、現実
はどうなのか。女性がいやおうなく構造的に抱えこまされている問題、乗り越えるの
が困難な問題は何かを冷静に考えることが必要なんです。三十五過ぎて、きれいで知
的で実入りのいい商売なんかないんですから(。)
自治体の講座の担当職員の話 同書 P69
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死は、もろもろの悪い物のうちで最も恐ろしい物とされているが、実は我々にとっ
て何ものでもないのである。なぜかと言えば、我々が存するかぎり死は現に存せず、
死が現に存するときにはもはや我々は存しないからである。
エピクロス「メノイケウス宛の手紙」
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洋楽のコピーには自信があったけど、プロはオリジナルを求められる。しゃべりで
盛り上げる器量もないし、たまにだれかの前座で出ても客は聴いてない。応援してく
れる人が少しずつ出てきて、「続けてもいいのかな」と思えるようになったんだよね。
嫌なことがいっぱいあって、それを通り抜けてきたからかな。つらくても時間がた
てば「どうでもよかったじゃん」って思えるに違いない、と最近は思う。俺が落ち込
んでも、他人にはどうでもいいことなのよ。世の中で悩んでいるのは俺だけ、なんて
ばかげているし、それは落ち込む必要のないことだ、と。年を重ねて、そういう理論
的なことを感情の中に持ち込めるようになった気がするね。
小田和正「最初は挫折、挫折だった」 「朝日」夕刊
2001.7.6
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残酷ではないんだ。自分でつぶして、自分で食べるのが文化なのだ。君たちのよう
に、人が殺したものなら何でも食べるというのが残酷なんだ。なぜなら自分の手はよ
ごさずに、食べたいだけ食べるというふうになる。それがほんとの残酷なんだ。自分
でつぶして食べる人たちは、必要以上の殺戮(さつりく)はやらない。
*フィ−ジャ−会(沖縄で山羊をつぶして振る舞う会)で「残酷」という本土
人を一喝した竹中労の言葉
照屋林助「てるりん自伝」(みすず書房 1998)P339
より
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以前、診察室で患者さんにこんな質問をされたことがあった。
「どんな時代、どんな社会でも、分裂病などの精神病は、一定の割合で発病すると
聞きました。もしそうなら、自分たちのような病者は、なんらかの使命を持たされて
この世にいるような気がするのですが。先生はどう思いますか?」
あまりの深い問いに、私はことばを失ってしまった。………中略……
もちろん、実際に病になった人たちはそれを憂いており、一日も早く回復すること
を祈っている。しかし、「自分とは違う他者」が私たちに大切なことを気付かせてく
れる場合がある、というのは確かだ。
香山リカ(精神科医) 「中日スポーツ」2001.10.4
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テレビは見える映像を優先させ、見えない疑問に挑戦することに熱心でない。
川崎泰資(椙山女学園大学教授・元NHK記者)
『世界』2001年12月号
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宮部 ごく普通の人間がごく普通に生きていても、たとえば世間さまに顔向けできな
いようなことや、もう自分でも思い出したくないようなことの一つや二つ、あり
ますよね。それこそがやっぱり人間の傷なんだしそれを大げさに見せはしないけ
ど、生身の人間として、その傷をいっしょに生きてゆく人間を、きちっと書いて
いくことが大切なんだろうなって、思っているんです。でも、それは改めて気づ
くまでもなく、藤沢作品には何回も何回も出てくることだなあと思います。
佐高 許されざるものでしょ?傷っていうのはね。しかし、その傷に負けてはいけな
い。傷に負けるっていうことは生きていけないっていうことだよね。
……中略……… 藤沢さんの場合はやっぱりそれは許されないものだと覚
悟して生きていくっていう、ね。
宮部 それでも生きていって…。その生きていく先に、許されないものをしょってい
ても、小さい幸せがあったり、小さい理解があったりする。それが大切なんだと。
人生は累積であって、あるところで御破算して、また新しく「願いましてはー」
にはならないよと。そういうものだよ、人間はと。
佐高信『司馬遼太郎と藤沢周平』 宮部みゆきとの対談から
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今日労働市場が直面している問題を解決する方法は、ハードな働き方のできる人だ
けが生き残れるような、仕事の抱え込みや奪い合いを繰り返していくようなやり方で
はないことだけは確かだ。子育てや介護の負担を負ったり、病気や障害とつきあって
生きる人たちも、社会に発揮できる能力がある限り、生活や身体の状況にあわせて働
き自立して生活できるよう、仕事と所得の公正な配分を可能とするシステムが確立さ
れる必要がある。そうすることによって、これらの人々が、社会に貢献し、国や自治
体の財政や社会保障を支えることができるようになる。
中野麻美「『労働市場構造改革』への対抗軸」(『世界』2002年1月号)
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「自分らしく」とか「自分なりに」という言葉が好きで、とても自分へのこだわり
を語りうるほどの自己を練磨しているとも思えない人間が自己を主張する。「パンが
好きかクレープが好きか」程度のことを個性だと思い込み、ささやかなライフスタイ
ルへのこだわりが重大時であるかの錯覚の中に生きている。そんなことにこだわるこ
とのできる恵まれた自分を取り巻く環境がどう成り立っているのかに問題意識が向か
わない。つまり、自分が相対化できていないのである。
…中略…
しかし、これを若者の問題とするのは早計である。…中略…本質は、日本の大人社
会が、若者にとって目指したいモデルを提示する力を失っているということにある。
…中略…人間が自らの未熟さを悟り、克己心を持って頑張ろうする契機は、圧倒され
るほどの先輩との出会いである。その瞬間、若者は謙虚な気持ちになり、大人の言葉
に耳を傾け、自分を磨かねばと覚醒するのである。
寺島実郎「魯迅と藤野先生 なぜ日本人は脳力を失ったのか」
(『世界』2002年3月号)
→いかにもビジネスマンの厳しい言葉である。それぞれ本当に自分らしく納得
するなり反発するなりしてください。深く。
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