これは2007年6月13日に朝日新聞に投書してボツになった原稿です |
政治不信と国民主権
投書本文
政治不信の原因は何か。政治家の汚職は問題だが、もっと重大なのは、民意と乖離した政治が長年続いてきたことである。常に福祉は削減され、消費税が導入され税率も上げられ、イラクに派兵された。いずれも国民の反対を無視して「粛々と」実行されてきた。これが可能なのは、民意と国会の議席配置がかけ離れているからである。その原因の一つは、小選挙区制など民意を歪める選挙制度である。二つめは、有権者の多くが、政策とは関係なく政党を選択していることである。後者についてはマスコミの責任が大きい。今日マスコミでは、あらゆる政治問題について、まず政府自民党の政策が、次いで民主党の政策が大きく紹介され、他は無視か付け足し程度である。基本的に違いのない「二大政党」の政策だけでは、真の対案として民意に合う政策のありかを示すことはできない。
自民党は来る参院選で改憲を掲げた。よろしい。もし現憲法を支持する有権者全員が、憲法政策に沿って政党を選択し、自民党・公明党・民主党に投票しなければ、議席配置は激変し改憲の発議は不可能となる。このように民意に沿った国会を作って国民主権を真に実現することが、政治不信解消への道であろう。
趣旨説明文
「政治とカネ」問題が出てくると私はしかめっ面になる。もちろん金権政治の醜悪さが問題だが、それ以外に、これでまた本来の政治問題がすっ飛んでしまう、という思いもあるからだ。「政治とカネ」問題は、企業献金体制を中心とした政官財癒着構造と不可分であり、その意味では保守政治の本質的構造問題である。しかし様々な政策を議論し決定し実行するという本来の政治課題からすれば、課題以前の問題である。端的にいえば、「政治とカネ」問題が解決したところで、政策課題から評価すれば、たかだかマイナスがゼロになったに過ぎない。やっと本来の政治の出発点に到達したに過ぎない。「政治とカネ」問題自体が政策課題であらざるを得ず、おそらく半永久的に解決しないだろう、ということが、外国のことはいざ知らず、わが国の政治の格段の後進性を表現している。
「政治とカネ」問題が出てくれば、庶民が文句を言い合うことで、かなりなガス抜きになる。そこでは政治不信といえば、「政治とカネ」問題一色になる。民意を無視した政治こそが政治不信の最重要な根源であることは忘れられる。あるいはこれは保守政治の狡智であろうか。リクルート疑獄を奇貨として原因を選挙制度にねじ曲げ、小選挙区制を導入して保守独裁国会をまんまと築き上げてしまった。お得意の政治腐敗を逆手に利用して彼らの「政策実現」が成就する。いまや国民の間では政治家は賎業と思われている。しかし政治家一般をどんなに軽蔑したところで国民にとって政治の前進はない。企業献金の問題など政治腐敗の根源を見抜くとともに、本来の政治課題の分野でも自らが支持する政策をはっきりさせ、それにふさわしい政党に投票することで少しでも民意を反映した国会を構成できるようにすることが必要だ。
民意を反映した国会を構成するという課題に対して選挙制度の問題はきわめて重要であるが、問題が複雑になるし、選挙制度が改善される展望も当面ないので、ここでは措く。民意を反映しない国会が、世論の反対を押し切る悪法製造所となって久しいが、こうした悪政は常に既成事実化して国民の眼前に現われ続けるので、国民の中では諦めと無力感が蔓延し政治不信や無関心が時代の空気となる。異常な低投票率がそれを物語っている。これを打破するのに一番良いのは(一番ありそうもないことでもあるが)有権者がこぞって政策に基づいて政党を選択することである。
政策といってもあまりに広いので、とりあえずもっとも大きな政策としての憲法問題を例に取る。世論調査では改憲派が多数ではあるが、近年は護憲派と接近してきた。9条に限っていえば最近では護憲派が優勢である。ところが国会の9割以上の議席は改憲派で占められている。最も重要な問題で民意と国会議席は恐ろしく乖離しているのだ。護憲を支持する人々の多くが改憲政党である自民・公明・民主党に投票しているのである。このような乖離現象は他の多くの政策でも見られる。最近の安倍内閣の人気急落と自民党支持の陰りに対して、民主党に支持が移動しないことをマスコミは不思議そうに見ている。しかし同様の政策しかもたない民主党に支持が回らないのはむしろ当たり前であって、この限りでは世論はまったく正当に反応しているといえる(もっとも最近の「朝日」世論調査では民主党支持が自民党支持を上回った。「二大政党」にのみ焦点を当てる普段の報道姿勢や調査方法の「成果」というべきか。それでも民主党への雪崩現象は起きていない)。さらに進んでは政策的には共産党や社民党に支持が回るべきであるが、そこには様々な壁がある。
大量に死票を生む選挙制度の問題もあって、小政党は議席が少ないということ自体が最大のマイナスイメージとなり無力な存在と考えられている。死票を避けたい有権者にしてみれば、選挙における政党選択において最初から小政党ははずされる傾向が大きい。もちろん比例代表制という健全な制度も部分的にはあるが、小選挙区で当選でき政権を争うことができて初めて一人前の政党という感覚が広がっているので、小政党は非常に不利になる。こういう状態では、様々な政党の中から自分の考えにあった政策を掲げる政党を選ぼうという志向が働きにくくなる。
しかし政策の善し悪しと議席数の多寡は関係ないという事実を直視すべきである。憲法問題に見られるように、有権者が純粋に政策的に政党選択するなら議席配置は激変するはずである。マスコミは「二大政党」に片寄った報道姿勢を改め、民意との関係を見極めながら各政党の政策を公平に扱うべきである。
以上のように考えてくると、政治不信とは国民主権の形骸化の現象形態だといえる。日本国の実質的な主権者は、財界を頂点とした政官財癒着体制であり、そこから国民無視の政治と金権腐敗政治も生まれる。このように政治から疎外された国民が政治不信を抱くのは当然であろう。民意に基づく国会議席を構成することは、今のところ形式的にしか存在しない国民主権原理を実質化することである。護憲と改憲の対決点は要するに、現実を憲法に近づける努力をするか、現実に合わせて憲法を変えるか、ということだが、それは平和主義や基本的人権の尊重だけでなく、国民主権原理にも貫いているのである。この観点からいえば、憲法をめぐる民意と国会議席配置との乖離という問題は実に象徴的で深刻な事実である。目先の議席配置に惑わされて、この根本問題を見ない政治分析はミスリーディングである。
蛇足ながら、以上とはいささか次元の違う問題についても考えたい。民意に基づかない政治こそが政治不信を生むことを主張したが、では民意に基づく政治は正しいのか、という問題もありうる。そんなものはポピュリズムではないか、「痛みに耐えよ」と国民に率直に訴える政治こそが正しいのではないか、という主張の検討である。これは一般論としてはありうる。しかし小泉政権に典型的に現われ、今日も継続されている「構造改革」路線においてはまったく妥当しないと考える。
福祉削減・労働法制改悪などに代表される、国民に痛みを強いる政策、あるいは大企業中心の景気回復で国民の多くの所得が停滞している中で、大企業・金持ち減税を継続し、庶民増税を強行する「逆立ち政治」といった、民意を逆なでする政策が強行されている。もちろんこれは政府与党によって確信をもって遂行されているわけで、その究極の根拠はグローバリゼーション下の大競争を生き残るため企業利潤を最優先し、生活と労働は犠牲になるのも仕方ない、という新自由主義の考え方であろう。これは世界中の人々を苦境に追いやる方針であって重大な反撃を免れない。確かに世界中の多国籍企業は強大だし、アメリカの軍事力・経済力も強大だが、決して彼らの意のままにはならない現実もある。イラク戦争の状況や南米での左翼政権成立の連鎖、労働分野では、労組の世界的な産別諸組織が多くの多国籍企業と相次いで先進的な労働契約を締結している。ILOは「ディーセントワークのグローバル化」を言い、世界社会フォーラムは「もう一つの世界は可能だ」と主張している。日本においても偽装請負の告発など、青年労働者の運動などが活発化している。
新自由主義的グローバリゼーションへの過剰適応政策によって、日本では格差が拡大し貧困が増大し、国内市場が狭小になり、景気回復も「格差景気」という歪んだ形になっている。そうではなく日本経済は内需主導の生活大国型の成長パターンに転換すべきである。それは確かに一国だけではできないが、生活小国・対米従属経済を脱して東アジア諸国との連携を強化し、欧州諸国の福祉・労働政策も参考にしつつ進むべきであろう。これ以上、生活と労働を破壊する政治が続くのは破滅的であり(自殺数・出生率の悲惨さを見よ)、まさに民意に依拠してまともな生活と労働を実現する政治が求められているのである。ここに「もう一つの国民経済」のあり方があり、「もう一つの世界」を目指す世界の進歩的な動向と連帯していく展望が開けてくるのである。
このように考えてくれば以下のことが判明する。民意に基づく政治をポピュリズムとしか受け取れない思想は、一つには人々の生活そのものに対する冷淡な無関心、二つには資本の利潤を絶対視して現行の新自由主義的経済秩序を墨守する無批判的姿勢の現われである。奥田前経団連会長が述べた「国民すべてが抵抗勢力になりうる」という恫喝は本質を衝いている。「抵抗勢力」を押しつぶさんとする決意に貫かれ強力に実行してきた新自由主義的「構造改革」はまさに国民主権への敵対である。
ついでながら以下に2007年4月30日に投書してやはりボツになった原稿も掲載します
安倍首相がブッシュ大統領に語る「美しい国」の夢を見た。
拉致問題について、国威発揚や政権維持に利用しているという批判がありますが、私はあくまで人権問題として取り組んでいます。それを証明するために二つのことを申し上げます。まず「従軍慰安婦問題」については、軍の関与をはっきり認め、元「慰安婦」の方々に心より謝罪します。20世紀は人権侵害が多かったという言い方はしません。「美しい国」としては他国がどうあれ自国の誤りは真摯に反省します。次に21世紀の人権問題としてはイラク戦争による生存権の損失が最大の問題です。大統領も侵略の誤りを明確に認めて撤兵してください。これは世界の常識であり、私も大統領とともに裸の王様と言われないためにあえて言います。誤りを指摘できないようでは同盟国でなく従属国になってしまいますから。ついでながら貴国より長年にわたって集団的自衛権実現のために憲法改正を要求されてきましたが、お断りします。これから貴国が行うかもしれない侵略戦争の中で集団的自衛権の名において自衛隊員の血を流すことは国益に反します。国民に愛国心を説く私にそんなことができましょうか。