これは『前衛』2006年2月号菅原良子さんの「二○○人の組合でも大企業や政府、そして社会を動かします!」の感想です

青年ユニオンに期待する 

                                                   2006年1月20日

                 感想文の要約

 「二○○人の組合でも大企業や政府、そして社会を動かします!」で菅原良子さんは青年ユニオンの画期的な組織=活動方針や驚くべき実績を紹介しています。政府や大企業は景気回復を謳歌していますが、これは労働者・国民の犠牲によるものであり、特に青年労働者の酷い労働実態が支えています。日本の「フリーター資本主義」とは要するに労基法違反の無法社会です。法を無視できるほど企業は「強い」。しかしそれは最大の弱点でもあります。青年ユニオンが団交に臨めば勝率99%で、解決金は何千万にも!なにしろ労基法違反ですから。個人加盟の青年ユニオンの組合員は職種別と地域別の分会に二重に所属することで、それぞれの要求実現の様々なきっかけをつかめます。また「青年ユニオン支える会」が組織され大人の援助も得ますが、それが逆に大人の再活性化にもつながります。このように分断と対立の新自由主義に対して社会的連帯による反撃の最前線にあるのが青年ユニオンです。菅原論文をまだ読んでいない人は是非読んでください。
 なお「首都圏青年ユニオン」は通称で、正式には、全労連のなかの自治労連産別の公共一般(東京公務公共一般労働組合)という組合のなかの青年一般支部です。

 

             本文

 首都圏青年ユニオン書記次長・菅原良子氏の二○○人の組合でも大企業や政府、そして社会を動かします! 不安定雇用の広がりと青年ユニオンの発展方向は、久しぶりに目の覚めるような論文で、10ページの中に紋切り型や常套的な文章展開がなく、生き生きしており、新たな発見満載でした。まあそれはこれまで私が何も知らないからこそかもしれませんが。私は80年代には労働組合員であったこともありますが、1988年からは零細古本屋経営で、若者との接点もありません。だからこれから述べることは的外れの山かもしれませんが、以下に感想を記します。

 まず著者(「菅原良子さんに聞く」だから「話者」か?)がタダモノではなさそうだ。労組専従わずか一年ぐらいにして「いろいろな集まりで講師として話す」(157ページ)。前職(大手自動車部品メーカー)はといえば、「職場での毎日のコミュニケーションは英語がベースで、それ以外の言語が必要になることもありました。ITのシステム開発の知識や経験も必要とされる仕事で、何十億というお金を動かす仕事の契約書をつくったり、アメリカ・ドイツ・日本の三拠点で電話会議を深夜や早朝にする仕事をしていました」(158-159ページ)。まさに最先端のキャリアーウーマンなのに何と時給1690円の派遣社員! だったら正社員っていったいどんな人? しかも2010年までで使い捨て。今どきの企業の人件費管理はなんてすさまじいのだろう。こういうひどいことをやっているから、本人にとっては幸か不幸か、労働界は貴重な人材を得ることができたというわけです。ジュリアード音楽院の学生だったニール・セダカはポップス系のバイトをしたのがばれて退学になったそうで、クラシック界の厳格主義がポップス界に人材を提供したようですが…(ラジオでの聞きかじりなので真偽のほどは保証の限りにあらず)。それはともかくアメリカでの生活経験もあるということで、いわば新自由主義的職場で鍛えられた人が労働運動の最前線で活躍している、ということが重要なポイントでしょう。

 青年たちのひどい労働実態はもちろん描かれているのですが、やがては低労働条件の青年によって中年労働者が代替されてしまうという形で影響が社会全体にも及ぶだろうという指摘は重要です。またこのひどい労働実態がほとんど違法であるという点に日本資本主義のすさまじさ(そう言ってよければ「強さ」)があるのですが、それは同時に最大の弱点でもあります。首都圏青年ユニオンの団体交渉の勝率は99%で、なぜならほとんどのケースが労基法違反だからということです。この1年間、50社と交渉して勝ち取った解決金が何千万! 今どきこんなに目だって役に立つ労働組合があるだろうか。負け犬根性が染み着いて賃上げはおろか雇用を守ることさえできない日本の労働組合運動の中にあってまさに希望の星です。未組織・無権利の青年労働者は大量に存在するのだから、青年ユニオンは勝利だけでなく、大きな広がりの可能性も持っています。もしこうした運動が広がれば、「構造改革」の労働(条件)破壊によって作り上げた日本資本主義の蓄積基盤(それが今日の「景気回復」=空前の企業利潤の実現を可能にしている)を浸食することになります。それは人間的労働の復位、人民の生活本位の内需循環型国民経済へ、という日本経済の民主的転換のきっかけとなりうるものです。もちろん財界はそれを許すはずもないので激烈な闘争となりますが…。ここまで展開すると誇大妄想と言われそうですが、青年ユニオンの担う戦線はそのくらい日本資本主義の核心部分にあり、経済民主主義を切り開く潜在的可能性に満ちている、ということだけは確かだと思います。

 しかも青年ユニオンはそれにふさわしい組織=運動形態を展開しています。そこに言及した162-165ページ部分は本当に読み逃せません。菅原氏は個人加盟組合の意義として「企業のグローバル化に対抗するために、労働組合も企業別組合から職種別組合(Trade Union)にシフトする必要性が迫っています」(162ページ)としています。日本の労働組合運動の長年の課題がグローバリゼーションの下でいっそう切実になっているわけです。このほかに変革主体形成の問題からいっても重要です。『資本論』では大工場での生産過程の規律によって陶冶された労働者集団が変革主体としてイメージされていますが、現代ではサービス化・IT化などの進展により個別化・分断化された労働者像が生み出されてきました。ここには、アトミックな社会像をもった新古典派経済学の隆盛とそれに基づく新自由主義的政策の採用の実在的基盤があると思います。ここに切り込まない限り、根底からの社会変革はありえません。不安定雇用の下で様々な企業に散らばった労働者を一つの組合に組織することで私たちは初めて現代の労働者階級を顕在化させることができ、新古典派とは違ったもう一つの社会像(分断された個人から結集した階級へ)を見い出せるのです。

 青年ユニオンはタテ軸とヨコ軸の組織化というユニークな戦略を持っています。タテ軸は職種別分会で、ヨコ軸は地域別分会で、一人の組合員は両方に所属します。企業別組合から職種別組合へ、という志向からすれば職種別分会があるのは当然ですが、出身地域などに定住して職種を転々とする青年にも居場所を提供する意味で地域別分会も重要です。彼等も職種別分会に所属することで、職能の高い人々とともに一つの社会が形成されます。様々な青年の結集を目指し、新たな労働社会を創造するという意味でよく考えられた組織形態です。なおここで労働社会というのは、ヨーロッパの労働組合運動が形成した、労働者階級の働き方の規範(個人的競争を抑制した集団主義の原則など)に支えられた職場社会であり、日本のようにそうした働き方の規範を欠き、個人間競争的な企業社会しかない職場のあり方と対照したものです(熊沢誠『新編・日本の労働者像』など参照)。労組の論理が職場での働き方の中になく、企業社会の価値観(要するに資本の論理)が社会全体を被った日本では、逆に企業の外に労働社会を形成することを目指すのが現実的なのかもしれません。「弱いけれど広いつながり(ウィーク・タイズ)をつくり出す(まるで、公立の小学校や中学校のクラスのように)ことで、多くの人々が、何らかの打開策をお互いに力を出し合って考えるきっかけを得ることができます」(163ページ)というのがその具体的なイメージでしょうか。組織の強さという点では組合費などはどうなっているのかは知りたい点ですが。

 青年ユニオンでは、それぞれに違った状況に置かれていても、同じく不安定な社会を生きていかねばならない現代青年としての共感を重視しています。「大人の組合」が青年たちの状況に無理解な説教をするのが批判されています。おじさんとしては自戒すべき点ですが、青年ユニオンでは大人を排除するのではなく、逆に「青年ユニオン支える会」を作って資金・活動の援助を受け、「昔とった杵柄」を蘇らせ、地域・社会を動かす大運動への発展を目指しています。これもまたユニークで創造的な方針です。

 リーダーの育成でも、個性や能力を生かして様々に行なわれ、特に団体交渉が要求実現の場だけでなく、組合員の学習・成長・団結の場として効果的に活用されています。文化行事にも参加しています。

 「こうやって、大衆運動、市民運動、文化・芸術活動と労働運動が一体化・交流することにより、今まで組合に無関心だった若者や非正規労働者を組織し、社会を根底から動かす大きなウェーブ(波)をつくれるのです」(165ページ)。「たった一人からの交渉でも、二人からの運動でも、私たちのたたかいで何千人、何万人という規模の会社を動かすことは可能だと思います」(同前)。既存の組織もなく、ばらばらにされてしまった青年たちの悲惨な状況は、まさに分断と対立を振りかざす新自由主義の攻撃の最前線です。社会的にも最も困難な戦線の中でも、青年たちに本当に寄り添って、一人・二人からでも運動を作り出してきた青年ユニオンの活動は、新自由主義の攻撃に立ち向かう社会的連帯の典型であり、「社会を根底から動かす大きなウェーブ」というのは誠に正確な自画像だといえます。全国的にも限りなく発展することを期待します。

 元の論文よりもはるかに分かりにくい感想文なんか書いてどうするんだ、という気もしますが、カネもヒマもなくて何の力にもなれない身としては、一人でも多くの人にこの論文(『前衛』2006年2月号所収)を読んで欲しいと思っているのです。青年ユニオンがテレビで取り上げられるとよいのですが。

                                  

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