この文章は「消費税廃止が経済を正す道」と題して、「朝日」(名古屋本社版)1999年12月9日付「声」欄に掲載されたものです(12月5日執筆)。 |
消費税の滞納や益税に対する憤激の声をよく聞く。確かに消費者の怒りは理解できるが
犯罪よばわりは行き過ぎであろう。例えば非課税業者の場合、消費税を取れば益税が発生
する。しかし取らずに経費にかかった消費税を負担して損税となっている業者も多い。またこ
の不況下では消費税を転嫁できない課税事業者もあり、その多くは赤字なので税負坦
能力がない。建前は消費者から預かった税金だが、実態はそうなっていない。身を切って
払えればよいができなければ滞納となる。一部の悪質な事業者を別として、当局の取り締
まり強化でこれが解決できるだろうか。
消費税率の引き上げを尻目に、経済の活力を高めるという名目で一部高額所得者への減
税が実施されたが、活力は戻らず税収は減った。経済政策が全く逆立ちしているのだ。福
祉の貧困、リストラの恐怖と相まって、逆進性の強い消費税はすっかり庶民の消費意欲を
奪ってしまった。厳しい不況と政府の誤った政策の下で消費者と業者が争っている場合で
はない。庶民の正義感は根本的な問題に向けられるべきだ。消費税の引き下げから廃止へ
の道こそが、益税・滞納問題だけでなく、不況を克服しながら逆立ちした経済運営を正す
道である。
次の文章は上記投書に同封した説明文です。 |
長い追伸。以下は投書への説明文です。あれこれ欲張り過ぎて冗長になり申し訳ありま
せん。できましたらご笑覧くださいますようお願いします。
投書欄では、消費税の「益税」や「滞納」に対する憤激の声がしばしば寄せられていま
す。経済欄などでは、「改革派」の経済学者なども現行消費税のこうした欠陥をついて、
インボイスの導入、簡易課税制度の廃止、免税売上額の引き下げ(廃止)など、消費税制
度の純化・強化を主張しています。確かに益税、滞納の事実だけを取り上げれば、消費者
のお怒りはごもっともでもあるし、それをなくしてすっきりさせるためには、学者の言う
ような改革が必要であるように見えます。しかし結論を先取りして言えば、こうした国民
の一部の声は確かに実感に基づくものとはいえ、一面的であり誤っており、「改革派」の
学者の意見はそれに乗じて世論をミスリードするものです。以下では、そうした実感的議
論の誤りを明らかにし、次いで今日の経済制度全体の中でそうした議論が果たしている客
観的役割を明らかにしつつ、そうした誤りを克服する社会の見方の基本を提示したいと思
います。
益税を糾弾する人は「損税」の存在を見落としています。例えば私は零細な古本屋で、
消費税非課税業者です。原則としてお客さんから消費税は取っていません。非課税業者が
5%の消費税を取れば確かに益税が発生します。それでは私のように取らなければ適正か
というと、この場合は損税が発生します。仕入・経費にかかった消費税を自己負担せねば
なりませんから。従って5%の消費税を取っている業者もまるまる5%が益税になってい
るわけではありません。しかも今日のような不況下では形の上では消費税を取っていても
その分、本体価格を下げていて、事実上、消費税が転嫁できていない事業者が多く存在し
ます。課税業者であれば、この場合身を切って納税せねばなりません。
消費税の滞納については、以上の議論からもだいたい推測できますが、理論的には税理
士の関本秀治氏の話が参考になります(「赤旗」97年4月2日付)。滞納が増えている原
因は、事業者にとっては消費税は付加価値税だからです。人件費・金利・賃借料・減価償
却費なども付加価値に含まれますから、税負坦能力(利益)がない事業者も納税せねばな
りません。赤字の事業者はたいてい転嫁できていませんから、消費税が消費者からの預か
り金だといっても、それは建前で実態はそうなっていません。
総じて言えば、益税・滞納を悪意のある犯罪よばわりするのは、今日の不況下の中小企
業・自営業者が置かれた厳しい状況を見落として、おそらく一部の目立つ悪質な業者から
類推して全体を論断した軽率な議論だといわねばなりません。このような現状を直視すれ
ば、税務当局の取り締まりによって税収が確保できると考えるのは幻想である(ない袖は
振れない)こと、またそのような強権的発想が危険であることも理解できるはずです。
ならば問題の元凶はどこにあるのでしょうか。それは消費税という制度そのものです。
資本主義下における財政の建前は、それによって社会の安定に資することです。累進課税
と社会保障という収入・支出両面からの所得再分配によって貧富の差を縮小します。また
累進課税は好況時には税収の増大によって景気の過熱を防ぎ、不況時には税収の低下によ
って景気の落ち込みを軽減します。いわゆるビルト・イン・スタビライザーの機能を持っ
ています。このように階級差と景気変動という資本主義固有の矛盾を緩和する役割を財政
は期待されています。これはおそらく中学か高校で習うことでしょう。
ところが消費税はこうした常識に反して、所得の大小・商品の性質の違いにかかわりな
く一律の税率を適用することで、逆進性(低所得者にとって加重負担になる)と景気中立
性(不況でも税収が低下しにくい)を持ちます。近年の「税制改革」では、所得税の最高
税率や法人税率の切り下げが行われ、消費税の効果と合わせて、ますます財政の社会安定
機能が失われています。税収の落ち込みが問題にされていますが、この原因は単に不況に
あるのではなく「税制改革」による所得税・法人税の減収という制度的要因もあります。
税率アップもあってこの間、消費税は増収です。政府税調委員でもある神野直彦東大教授
は、このような「改革」によって、景気が回復しても税収が十分に回復しないという危惧
を表明しています。
このように強きを助け弱きをくじき、社会の安定を損なう経済政策の中心に位置するの
が消費税です。しかし現行制度では、益税問題があり、厳しい不況下では滞納問題があり
ます。潔癖な庶民の目はどうしてもこの分かりやすい「不正」に向けられます。中小企業
・自営業者不信に油が注がれます。そこに「改革派」学者の御託宣があり、この不徹底な
制度をもっと透明な制度にしよう、業者の不当な既得権益を打破しようと唱えると、なる
ほど、となるわけです。このように益税・滞納問題は消費税の定着・強化(それはますま
す国民を不幸にするのだが)に格好の材料を提供しています。消費税の土俵の上で国民ど
うしが戦っていてはだめなのです。この土俵を降りて新たな共同の輪で包囲していかねば
なりません。消費税を廃止することで、益税・滞納といった問題を克服することこそが真
の国民的な解決なのです。もちろん消費税を当面切り下げ、将来的に廃止するためには、
財政全体の抜本的改革が求められます。特に公共投資偏重の歳出構造の変革がその中心問
題でしょう。
消費税をめぐる議論状況を整理し直すと、消費税そのものの是非を問う「大問題」と、
現行消費税制度の様々な欠陥を問う「小問題」とに分けられます。国民の反対をなだめて
「小さく生んで大きく育てよう」という思惑から、3%という低税率とともに(インボイ
スでなく)記帳方式・簡易納税制度・零細業者への免税といった制度が導入されました。
ここから益税などの「小問題」が発生し、「不純で不透明な」現行制度を「改革」して「
純粋で透明な」本来の消費税を実現しようという衝動が必然となります。「改革派」にと
ってはこの「小問題」は格好の存在です。まず「大問題」から国民の目をそらすのに役立
ちます。その上、消費税の存在を所与の前提として議論するかぎり、中小企業・自営業者
の「不当な既得権益」を指摘して「改革派」の議論の正しさを印象づけることができる(
実際には以上に見たようにその正しさは一面的なものに過ぎないのだが、ともかくも理論
的一貫性は主張できる)のです。マスコミももっぱら「小問題」に集中することで、国民
を分断していますが、今こそ、「大問題」の視点から国民的共同の輪を実現せねばなりま
せん。
いささか脱線しますが、同様な論理構造は「政治改革」論議にも見られます。政治腐敗
問題を選挙制度問題にすり替えたことはここでは措きましょう。自民党などは保守永久支
配を狙って小選挙区制の導入を策し、反対勢力への妥協策としてとりあえずは小選挙区比
例代表並立制を採用しました。ここでの「大問題」は、小選挙区制は民意を反映しない非
民主的な制度なので廃止せねばならない、ということです。ところがここでもまた現行制
度に伴う「小問題」が発生し、例えば、重複立候補制度によって、小選挙区で落選した候
補者が比例で当選するのはおかしい、というような議論が根本問題をさしおいて声高に語
られています。その一方で完全小選挙区制に向けた策動が進行しています。
「重複立候補」問題については多くを語れるのですが、繁雑になるので核心の一論点だ
けを指摘します。南ドイツ新聞のゲプハルト・ヒールシャー氏の次の言葉で問題は一気に
氷解します。
東京二区では、深谷隆司氏(自民党)が鳩山邦夫氏(民主党)に負けたにもかかわ
らず、重複の比例ブロックで当選しました。それにたいして、「なんで落選した候補
者が当選するのか」という批判が出るのは、政党選択の選挙をしているという角度か
らみれば、非常におかしな批判です。これは、深谷氏が復活したのではなく、自民党
が比例ブロックで獲得した票数が、そこまで到達していたというだけのことです。だ
から、仮に深谷氏が急死すれば、つぎの人がくりあがる。比例代表制度の票とは政党
への得票です。そこがわからないのは、日本の選挙が、いままで連綿として受け継い
できた個人中心の選挙、政党選択ではなく、個人に政治をまかせる発想から抜けられ
ないからです。比例代表制が導入されたにもかかわらず、まだそういう意識で政党選
挙をみているから、そうなるのです。 『前衛』97年1月号 P53
「朝日」夕刊、98年10月8日付「窓」にも、ドイツではコール首相がたびたび、小選挙
区で落選して比例で当選していたが、それは全く問題にされなかった、ということが紹介
されています。
私が消費税と小選挙区制を並べて問題にするのは、それらが経済と政治における、保守
支配の二大支柱であり新保守主義(≒新自由主義)的「改革」の象徴でもあるからです。
その重大さからいって、そこには現実の力関係を反映した様々な矛盾と議論が集中するの
ですが、問題の複雑さを利用して巧みに「大問題」を回避して「小問題」の枠内で「改革
」を強力に推し進めようとしているのが「改革派」です。国民的立場からは「大問題」を
直視して真の改革とは何かを提示する必要があります。
初めに返れば、益税などへの憤慨は、喩えは悪いのですが、戦時中に軍国少年がたるん
だ大人たちを糾弾したようなものです。見破りにくい・制度としての大きな悪を無自覚的
に前提して、見やすい小さな正義に固執して国民どうしが争うことは、客観的には悪の制
度を強化し、自分で自分の首を締めることになります。もちろん悪の制度に対抗するのに
個人的な小悪を正当化するは誤りです。そのような人は制度が改善された場合にも真面目
な働き手とはならないでしょう。どのような制度のもとであれ庶民的な正義を貫くことは
尊重されるべきで、嘲笑されてはなりません。軍国少年たちにしても戦後民主社会の重要
な働き手となっていったのですから。市場万能論の弊害が噴出し、市民的公共性を基礎に
置いた社会形成が課題となっている今、そのような人間像はますます求められています。
ただその場合、個人的身辺的正義に留まっていがみあうのではなく、社会的制度そのもの
に目を向けて、この制度のもとで痛みを受けているものどうしとしての連帯を作り上げ、
大きな正義を実現していく視点が大切なのです。
以上、消費税などを悪のシステムとしてきましたが、「改革派」の観点からは、それこ
そが「時代錯誤」であり、停滞した平等社会を活力ある競争社会に変えることが時代の要
請だ、ということになります。私はこのスローガンを額面通りに受け取ることはできず、
底意(というほど意識的なものではないでしょうから、「それによって結実するであろう
社会の実態」というほうが正確でしょうが)を探ることが必要と考えますが、それはひと
まず措きましょう。ここからは「良い社会、良い経済とはどのようなものか」という問題
が提起されているのです。その問題を全面的に考察するのは難しいので、ここでは「良い
生き方とはどのようなものか」という一つの視点から考えてみたいと思います。
おおむね女たちは男たちと比べて生活というものをより深く理解している。彼女たちの
声を聞くことから始めましょう。
忙しがって、競い合って、慌ただしく過ごされて、わけもわからずに死んで終わる
一生、そのような一生を「よい」人生と思うことができるのなら、そのような人生に
とっての「便利さ」とは、したがってそれ自体が目的である。便利であることそれ自
体がよいこと、求められるべき価値なのである。しかし、本来、便利さとは、それに
よって節約された時間や手間を、よりよい目的のために使うことができるからこそ、
価値であったはずである。よりよい目的とは何か。決まっている。よい人生を生きる
ことである。人生の意味と無意味を自ら納得して生きる人生のことである。
池田晶子『魂を考える』(法蔵館'99)P11
必要でもないのに出現したものを、人は「便利」と思うわけだが、その便利さが生
活と生存に必要不可欠と思うに至る顛倒がなぜ起こるかというと、答えは至極単純で
ある。なんのために生きているのかを、考えずに生きているからである。
同前 P16
どんなコンサートに出るかということも含めて、私は人間はしたいことをするとい
う信念を持っているんです。 ……
人生は長いんだけど、二百年、三百年もつ楽器の生命なんかに比べると短いわけで、
忙しくしている暇はないよと思いますね。
忙しくしている暇がないからこそ、一つひとつ大事に仕事をしなければならないと
思います。 藤原真理 「朝日」夕刊98年10月8日
人間自身が主人公であって、社会によって急かされることなく自ら納得して生きること
ができる−そのような社会こそが良い社会ではないでしょうか。そこでは効率が唯一の基
準であるような考え方・感じ方が克服され、弱い立場の人々の人権が尊重されるだけでな
く、彼らの視線に立ってこそ、普通の人々にとっても良い社会が実現できることが理解さ
れます。難病・障害・出産を経験した37歳の主婦の次の述懐には、厳しい今日の社会的現
実の中からあるべき社会像への変革を見つめる確かな視点があります。
寝たきりの私、妊婦の私、乳児を抱えた母親の私、それぞれの目線で、仕事で得た
知識を生かして暮らしやすい社会を目指して小さな疑問や提案を考えようと思う今年
の夏です。 市川花菜 「朝日」98年7月1日「ひととき」
もちろん現実社会はそうなってはいません。何故か。ここでは「経済」とは何かについ
て考えてみようと思います。経済と一言でいっても、そこには資本の論理で動いている部
面と生活の論理で動いている部面があり、両者が絡み合っています。生活の論理からは、
カネは生活に必要なだけあればよく、それは目的ではなく手段です。資本の論理からは、
カネは無限に必要であり、その増殖こそが目的です。資本主義社会の推進原理は資本の論
理であり、しばしば生活の場も資本の論理に浸食されます。そこでは人間が社会の主人公
であることをやめ、人々は心ならずも急かされ、カネの亡者となり、しばしば無理な労働
を強制されます。納得できる人生を取り戻すとは、資本の論理の無制限な放縦に適切な規
制をかけ、生活の論理を生かすことです。
今日、グローバリゼーション・大競争・規制緩和の大合唱の中で市場万能論とそれへの
批判とが様々に錯綜した議論を展開しています。そこでは市場か政府か、あるいは市場を
めぐって自由化か規制か、といったように主に市場のあり方についての議論が百出してい
ます。しかし市場のあり方はいわば結果としてあるもので、根本には資本の衝動に人間が
いかに対処していくか、人間がどの程度、社会の主人公でありうるか、という問題があり
ます。もちろんこのようなことを抽象的に述べたところで、問題の具体的解決には近づき
ません。初めに論じた財政のあり方を含めて、国民経済に関する計量的検討、あるいは世
界経済における通貨体制の改革、多国籍企業への民主的規制など多くの問題を検討せねば
なりません。残念ながら私にそういった問題の詳細な分析能力はありません。しかしなが
ら健全な国民的常識によって分かる部分も多いのではないかと思い、ここまで述べてきま
した。そういう普通の人々によって社会は形成されてきたし、変革も達成されていくもの
だと思っています。今、この国民的常識とは何かをめぐって、正反対の立場(民衆的立場
と資本の立場=新自由主義)から議論があります。働く人々の善意をどちらが獲得できる
かが勝負の分かれ目です。
最後に、私のような議論に対して、それでは資本の自由をせばめ経済の活力を削いでし
まう、という批判を検討したいと思います。例えば、学童保育所の開設に様々な制限を加
えるような地方の役所の規制、ある種の行政指導のような政官財癒着の温床となるような
規制、確かにこのような規制はなくしていく必要があります。しかし規制は経済の活力を
削ぐもので、規制緩和は活力を高める、従ってごく一部のやむを得ない社会的規制だけを
残して後は原則自由にすべきだ、という単純な図式は誤りです。
19世紀イギリスでは工場法の成立によって、労働時間が制限されましたが、それで活力
がなくなるのではなく、逆にそれが技術発展の誘因となって空前の経済発展を実現しまし
た。日本の戦後改革でも、労働改革・財閥解体などで戦前の野放し的な資本のあり方に規
制を加えて、その後の発展の基礎を築きました。また自動車の排気ガス規制について、本
田宗一郎氏はこう述べています。
こと技術的に解決しなければならないものを政治的に解決しようとすると、どこか
に無理がでて、永久に禍根が残る。損得勘定からいえば、一見、損をしているように
見えても、やはり技術的に解決すべきものは、どのようにしても技術面からやらねば
ならない。 片山修編『本田宗一郎からの手紙』(文春文庫)P122
私が低公害エンジンの開発こそが先発四輪メーカーと同じスタートラインに並ぶ絶
好のチャンスだといったとき、研究所の若い人は、排気ガス対策は企業本位の問題で
はなく、自動車産業の社会的責任の上からなすべき業務であると主張して、私の眼を
開かせ、心から感激させてくれた。 同前 P182
これらの例では、規制は初めは資本に対する外面的な強制として作用しますが、それは
やがて社会にとっての内面的なルールとして不可欠なものになっています。そうすること
でいわば資本主義がヴァージョンアップされ、技術がより人間的方向に使われたり、労働
主体の自発性がより発揮されるようになりました。経済の活力の中身が上質に変化したの
です。今日の世紀末大不況も活力の中身の変更を提起しているのです。大量生産・大量消
費、資源・人材浪費型の経済から、個性的ニーズへのきめ細かい対応、環境・福祉型経済
への転換が求められています。前者の主体は中心的には大資本ですが、後者では中小資本
や自営業・NPOなども重要な役割が期待されます。むき出しの競争による淘汰から適切
な棲み分けが追求されるべきです。世界的にはすでに雇用などの分野で中小経営の社会的
役割が注目されています。以上をまとめれば、規制を敵視した従来型の活力による資本主
義から、人間的な規制を取り込んだ新しい活力のあり方を求める資本主義への転換が必要
なのです。
そんな大ざっぱな話で現実の経済が進むか、という批判は甘んじて受けます。しかし従
来型の活力そのものが問題とされていることは決して否定できません。そして未来型の活
力を先取りした実践が様々に現れていることは、内橋克人氏の名著『共生の大地』(岩波
新書)から知ることができます。
以下は追加の説明文です(1999年12月16日執筆)。 |
前略
先日は拙文をご採用下さりありがとうございます。
去る14日に「損税」について電話でお問い合わせの際には、一応お答えしましたが、十
分に明らかにできなかったのではないかという懸念が残りました。いまさら詳しく説明し
ても役に立たないことは承知の上ですが、心のひっかかりを清算したく、説明文を作りま
した。ご笑覧くだされば幸いです。
おそらく消費者の多くには、消費税の基本的な仕組みが理解されていないのではないか
と思います。消費者に直に接するのは小売業者ですから、消費税への不満が主にそこに向
けられるのも無理からぬとは思います。消費者の多くは、小売業者から5%の消費税を取
られるのだから、それがそのまま税務署に納められる、と思っているのではないでしょう
か。実際には、消費者が納めた5%の消費税は、流通各段階の事業者によって分割されて
税務署へ納税されます。この点が「益税」「損税」の理解にとって重要な部分です。
数字例を示します(消費税率5%)。
流通段階 |
本体価格 |
消費税 |
A |
売上 800 |
受取(=納税分)40 |
B |
仕入 800 付加価値 400 売上 1200 |
支払 40 納税分 20 受取 60 |
C |
仕入 1200 付加価値 600 売上 1800 |
支払 60 納税分 30 受取 90 |
消費者 |
買上 1800 |
支払 90 |
ここで、Aは原材料業者、Bは製造業者、Cは小売業者と考えればよいでしょう。Aは
Bに商品を800円で売って、40円の消費税を受け取り税務署に納税します。BはAから800
円で仕入れて、Aに40円の消費税を支払い、400円の付加価値をつけてCに1200円で売り、
60円の消費税を受け取ります。Bは消費税の受取分の60円から支払分の40円を控除して20
円を納税します。これは付加価値400円の5%に相当します。
同様にCもBから1200円で仕入れて、Bに60円の消費税を支払い、600円の付加価値を
つけて消費者に1800円で売り、90円の消費税を受け取ります。消費税の受取分90円から支
払分60円を控除して30円を納税します。これも付加価値600円の5%に相当します。消費
者はCに消費税90円を支払って、自分では納税しません。
こうして次の式が成立します。
消費者の消費税支払分90 = Aの納税分40+Bの納税分20+Cの納税分30
これは消費者が支払う消費税が、預り金として、各流通段階の事業者によって分割して
納税される仕組みを示しています。
ここでCが非課税業者だとします。
ケース Cが消費税90円を取る場合
CはすでにBに対して60円の消費税を払っているので、差し引き30円が益税となり
ます。
ケース Cが消費税を取らない場合
消費者は払うべき90円を払わずに済みます。CはBに支払った60円が損税となりま
す。もし消費税制度がなければ必要のない支出ですから「損税」と呼ぶべきもので
しょう。
なお両ケースとも税務署はA・Bを通じて消費税60円を確保しています。非課税業者を
認めるということは、あたかもその取扱品目については収税を諦めるように見えますが、
このように流通過程の一部分からは確保できるのです。
以上は消費税の基本の建前を述べたものですが、現実には本体価格そのものが需給に応
じて変化します。不況下では、本体価格を下げて消費税を転嫁している場合も多く見られ
ます。これは実質的には転嫁できていないと言わねばなりません。益税を潔しとしない非
課税業者が損税を避けるには、課税業者になる道もあるでしょうが、納税業務の繁雑さと
ともに転嫁の実質的な困難さが問題となります(もっとも転嫁という形式そのものにも抵
抗があるのだが)。それならむしろ消費税は取らずに「税率引き下げから廃止へ」という
世論形成に努力するほうがよい、と私などは考えます。税率がこれ以上あがるようだと損
税がふくらんで、そうした「非課税的」抵抗も難しくなっていきますが、それを許さない
ためにも消費税の不当性をあらゆる角度から訴えていきたいと思います。
釈迦に説法だったかもしれません。しかし私自身はこの数字例までたどりつくのにずい
ぶん試行錯誤し、その過程で理解のあいまいさを正すことができました。ご質問のおかげ
です。多段階課税の仕組みについてはこれで間違いなかろうと思います。
お忙しいところ失礼しました。「声」欄のいっそうのご発展を期待しています。
草々
1999年12月16日