これは名古屋古書組合の機関誌『古書月報』101号(2008年4月29日刊)に投稿したものです


      Jポップに見る青春と成熟

 

 二十世紀末、古本屋の扱う雑誌などに熟女ヌードというジャンルが現われた。あの女優がついに脱いだ、という類ではなく、そのへんのおばさんが大挙して、という図である。いよいよ世も末か、古本屋の衰退と軌を一にして、という感もあったが、これも少子高齢化社会の普通の現象なのかもしれない。若者は減り、還暦過ぎても、おじいさんやおばあさんという感覚はないので、圧倒的に世の中はおじさんとおばさんが占めることになるだろう。とにかく何でも若いことに価値があった「それゆけどんどん」の時代は終わり、バブル崩壊後は、貧困化と成熟化という妙な二面性の時代になった。どっちにしても物は売りにくい。商売人としては、世にじわじわと浸透する諦観と達観の雰囲気(アキラメとサトリ?)の中に、何か成熟した市場が生まれないか、と探すべきかもしれない。それにしても冒頭のヘンなものじゃなくて何かないのか?

 と、自問したところで商売下手に回答があるわけではない。以下は勝手気ままな話でお茶を濁すことになるが、お許し願いたい。

 歌は世に連れ、世は歌に連れ、と言うが、Jポップの歩みは時代の自己認識の歴史とも言えよう。かつては「三十過ぎてロックなんかやってられるか」と思われていた。今ではローリングストーンズなんか還暦過ぎても不良やってる現役ロッカーである。西洋人に向かって還暦と言うのもおかしなものだが、これはもう邦楽・洋楽を問わずで、そこには何らかの成熟が訪れることになる。

 七十年代には、青春の挑戦とその挫折の物語がまだ生きていた。陳腐な図式と笑うなかれ。陳腐というのは、それほど広く日常意識に上っているということだ。それをうまく形象化して時代の共有財産にできれば、人はそれをスタンダードと呼ぶ。ばんばんの「『いちご白書』をもういちど」はスタンダード・ナンバーである。

 高校生・荒井由実は、卒業を前にした大学生たちが長髪を切り落とす「断髪式」を目撃して、いつか人生の記念碑になるような曲を作ろうと決意する。後に、ばんばひろふみとの出会いで「『いちご白書』をもういちど」が生まれる。

   就職が決って 髪を切ってきた時

   もう若くないさと 君に言い訳したね

 泣かせどころである。さすがに青春の挑戦と挫折を切り取るシーンの的確さには舌を巻くが、もちろんここにはまだ成熟はない。

 やはりユーミンの作で、「いちご白書…」の続編とも言えそうな、ブレッド&バターの傑作「あの頃のまま」の最後の歌詞。

   人生の一節(ひとふし)卒業したくない僕と

   たわいない夢なんか とっくに切り捨てた君

    For   Myself  For   Myself

   幸せの形にこだわらずに

   人は自分を生きてゆくのだから

 「学生運動」の季節は去り、社会人としてそれぞれの道を行く。「たわいない夢」との距離のとり方は様々だ。しかし時代は個人主義というより私生活主義に流れていく。それを支えたのは「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と呼ばれた八十年代日本資本主義の「相対的安定」だろうが、世紀末にもろくも崩れる。貧困化が押し寄せる一方で、変革の波はいまだ定かならず、私生活主義を経た生活意識の成熟はどこへ向かうのか。

 もっぱら若者の恋愛を歌ってきたJポップにも変化が現われる。その決定打を放つのは、カリスマではなく自然体の人だ。二○○七年六月一日付「朝日」夕刊に出色の記事があった。「都会的なラブソングの歌い手というイメージの一方で、ポップスではあまりお目にかからない生活感ある心情を表現するのも得意としてきた」竹内まりやアルバム「デニム」を発表した。

 「デニムには、色あせる良さがある。人生と同じ。年齢が増すほど、歌える世界は増える。いまは52歳の心境も、20代のトキメキも歌えるんだから。70代になったらもっと広がっているよね」

 「デニム」に収められた「人生の扉」を、医療経済学者・二木立は「人生のどの年代にもそれぞれ意味があることを歌った、心にしみる歌です」と絶賛し、以下のように英語の歌詞の部分を訳つきで紹介している(「二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター」通巻四三号、二○○八年三月一日、http://www.inhcc.org/jp/research/news/niki/

に転載、訳は佐藤紀子『看護師の臨床の「知」』医学書院、二○○七、あとがき二四三頁より)。

        I say it's fun to be 20.           (愉快な20代)

        You say it's great to be 30.       (夢中になる30代)

        And they say it's lovely to be 40.  (愛しい40代)

        But I feel it's nice to be 50.       (素敵な50代)

        I say it's fine to be 60.           (美しい60代)

        You say it's alright to be 70.      (十分やれる70代)

        And they say still good to be 80.   (まだまだ申し分ない80代)

        But I'll maybe live over 90.

 

 人生の総括をポップソングに仕上げることで、竹内まりやはJポップの成熟史にマイルストーン(里程標)をうち立てたのではないか。その中で、九十過ぎても生きるだろう、とさらりと歌う。お見事と言うほかない。

 そういえば野上弥生子は九九歳まで生きた(古本屋の雑文だから、無理やりにでも本の話に結びつけて終わろうというコンタンである)。戦前から書き継がれた大作『迷路』は一九五六年、作家七一歳にして完結している。あえて言えば、『迷路』は軍国主義時代に反戦活動をした学生や兵士の話だから、作品の対象の厳しさは戦後の比でないのは当然で、「いちご白書…」の学生と同列に並べるわけにはいかない。

 以下では、そういう作品の主題とは別のエピソードを扱いたい。『迷路』の最終章はいわば追伸であって、時代に対して超然的な姿勢を貫いた偏屈な老貴族の話で終わっている。老人は時代の傍観者として生きた美意識と罪悪感から、今さらあわてて疎開する無様(ぶざま)を演じられない。能面・装束を道連れに、空襲下の東京に残る。ただし彼には戦後に残したいものがあり、庇護する能役者を疎開させ、その別れの前にこう語る。

 「小説だろうと、芝居だろうと、読者、見物人に人気のあるのは女だ。それもうら若い女にかぎる。ところで世阿弥は女は女でも百とせの老女ばかりを扱って、それがいずれもただ者ではない。……(中略)……古往今来どこの国に、百歳の女をあれほど美しい女主人公にした作者があるかい。耳にしたこともなければ、読んだこともない。あの男だけのどえらい芸術で、おそらく日本人だけに味えるもので、毛唐人には歯がたつまい。そう考えれば、あれらを書いて舞ったのは世阿弥でも、彼に書かして舞わせたのはもろもろの日本人だからね。そこが頼もしい。なかなかどうして、こういうことにかけては、日本はどこの国にもひけを取らないものをもっている。これだけは爆弾も滅せないよ。滅してはならない」(『迷路』(四)、岩波文庫、一九七五年、三一六頁)。

 どのような危機の時代にあっても、日本人にはとんでもない成熟感が貫いているということだろうか。漱石の弟子ともいえる野上弥生子が世阿弥を引き合いに語ることには日本文学史の重みが感じられる。Jポップの成熟をその流れに位置づけるのは無理だろうか。竹内まりやに「人生の扉」を書かせ歌わせたのも、今時の「もろもろの日本人」だとすれば「そこが頼もしい」。人々には、若さにまかせて疾走する「効率的な」生き方への反省がある。歳をとってゆっくりでもそこにこそ人生の充実した内容があり、長く生きる日々へのいとおしみも生まれる。日本社会そのものが青春時代であったころ、その忙しさの中に忘れられていったものが、今こうしてよみがえろうとしている。そしてそれを踏みにじる最近の社会のあり方に対する怒りが、物心両面における生活の深みから沸き起ころうとしているのではないか。だから一九五六年、野上弥生子・七一歳によって閉じられた「迷路」は、二○○七年、竹内まりや・五二歳の「人生の扉」として少し開かれたと思いたい。

 音楽産業のように市場に敏感でも洗練されてもいない古本業界だが、成熟市場というのは本来とてもふさわしい居場所であり、伝統に根差した独創性が期待される(どうも実感いま一つなので、ひとごとのような言い方だが)。 

追記:訂正とお詫びと開き直り

2008年5月25日、NHKFMでブレッド&バターの特集番組があり、「あの頃のまま」の制作についてブレッド&バターが語っていた。ユーミンは湘南での二人の生活ぶりを見て、ミュージシャンになった若い頃と変わらぬ様子に対して「あの頃のまま」をつくり、何年か休業していた彼らの再起の作として贈った、という。だからおそらく政治的ニュアンスはないだろう。「『いちご白書』をもういちど」の続編というのは私の勝手な思い込みのようだ。訂正してお詫び申し上げる。しかしそう思っても歌詞上、不都合は無い。楽曲は論文ではなくてエンターテインメント用の創作物なのだから、たとえ「正解」でなくとも、受け取る側が様々な思いを投影すること自体は悪くはないように思う。 


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