これは全日本年金者組合守山支部機関誌「もりやま」への投稿です。日付は原稿を編集者に送信した日です。


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      2025年3月4日

     原爆犠牲者の国家補償と平和憲法の人権保障

 日本政府は原爆の犠牲者に国家補償をしていない。昨年のノーベル平和賞受賞講演で被団協の田中熙巳さんはあえてそう繰り返した。そこには「戦争犠牲者に対する国家補償は日本だけでなく国際的な問題でもある」という問題意識がある。日本政府は健康診断や健康管理手当を実施してきたが、あくまで「補償」ではなく「社会福祉」としてだ。戦時に起きた被害は国民が等しく我慢しなければならない、という「戦争被害受忍論」が国の立場だ。だからこそ被団協は国家補償にこだわる。原爆被害の責任を誰も取らないなら、核兵器を使っても償わなくて良い、という前例になりかねない。逆に、国家に戦争の責任をきちんととらせることが将来の戦争の重要な防波堤になる。なるほど、未だに戦争被害受忍論に立つ日本政府は大軍拡で戦争準備を進めているではないか。
 日本国憲法は個人の尊重と幸福追求権を根本原理とする基本的人権を掲げる。それは侵略戦争の反省の上に築かれた。だから個人に向かって「戦争の被害は我慢しろ」という政府は憲法上ありえない。被団協が原爆犠牲者の国家補償をあくまで要求しているのは、個人の尊厳の立場から戦争を防止しているのだ、と私は考える。

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      2025年2月3日

     私たちの心と社会を作る言葉を守る
 
 中国の内モンゴル自治区では、習近平政権の同化政策のせいで、モンゴル語の授業が縮小され、子どもたちはモンゴル語より中国語使用が中心だ。町の看板からモンゴル文字が減って漢字ばかりになりつつある。一方、モンゴル国(外モンゴル)では、旧ソ連との関係で、もっぱらロシア語のキリル文字が使用され、もともとモンゴル文字を読める人が少ない。かつて世界最大の帝国を誇ったモンゴル民族の悲劇だ。政治に振り回されず自らの言語と文字を大切にしたい。
 日本では方言の消滅が心配されている。今では、「つらら」(氷柱)は全国一語だが、かつては百以上の方言があったとか…。東京一極集中で日本語が貧しくなっている。せめてもの抵抗に、「標準語」ではなく必ず「共通語」と言うことにしている。「正しい標準語」と「偏った方言」があるのではなく、様々な「方言」がまずあって、それらをつなぐために「共通語」が後から作られたのだから。多様で豊かな言葉が尊重される社会はどうあるべきか考え続けよう。

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      2025年1月4日

     日本の反省から前進へ

 昨年12月、韓国の尹錫悦大統領が突如「非常戒厳」を宣言したが、すぐに国会が解除決議して「大統領のクーデター」は阻止された。与野党議員の一致した機敏な反応とともに、すぐに国会周辺に駆けつけ身体を張って警察や軍隊に対峙した市民の動きが素晴らしかった。運動の中心を担ったのは若い女性たちであり、Kポップのペンライトが国会前広場を埋めた。韓国の民主主義はかつて悲壮な決意で軍事独裁政権と闘って獲得され、今や軽やかな連帯で未来に引き継がれようとしている。
 ところが、かつてアジアを侵略し植民地支配した日本では、それを反省せず未だに周辺諸国を見下す気風がある。本当に恥ずかしい。経済発展や政治の民主化で追い抜かれている現実を直視すべきだ。停滞し閉塞感に満ちた社会から脱するため、憲法を変えるのでなく、実現することで、核兵器廃絶と東アジアの平和実現の先頭に立ち、人権と民主主義、生活向上の新たな国づくりに向かうべきだ。

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      2024年10月3日

     総選挙!!

 衆議院選挙投票に向け、追い込みに入っている。忘れてならないのは投票日の早さ。自民党総裁選で石破茂候補曰く「解散総選挙は少なくとも予算委員会での議論を経てから」。投票日は11月かと思った。ところが石破氏は総裁選に勝ったら、まだ首相になる前に10月27日衆議院選挙と宣言した。嘘つき且つルール破りだ。
 その魂胆は誰にも明白だ。――ご祝儀相場で新政権への支持率が多少は高いうちに、論戦でぼろが出ないように早く選挙してしまおう。裏金と統一協会の問題には蓋したまま。今しかない。
 毎度この手のごまかしで自民党は政権を維持してきた。財界奉仕・米国言いなりで国民犠牲、という本質を隠すため、マスコミを巻き込んだ目くらましだけは本当に熟達している。今度もだまされるとホントにひどいことになる。軍事オタクでタカ派の石破首相はアジア版NATOとか核共有など、とんでもない政策を掲げている。生活と平和を守るため声かけあって選挙に行こう。

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      2024年9月3日

     一九四五年「終戦」の意味を考える

 「終戦の日」を八月十五日以外にすべきという異説がいくつかあるが、名前自体を「敗戦の日」に、という主張もよく聞かれる。間違った戦争を深く反省しようという趣旨なら一理ある。いや、負けたのは天皇制の軍国主義国家であって、日本人民にとってはむしろ解放されたのだから、「終戦」でいいという見方もある。
 別のユニークな解釈によれば、「終戦」とは戦争というもの自体をもうこれで終わりにするという意味だ。これは憲法の平和主義にぴったりくる。実際には日米安保条約が憲法の上位にあり、ベトナムやイラクへの米軍の侵略戦争に日本は加担しているし、米兵の性犯罪さえ日本政府が隠蔽するような体たらくだ。しかしもし9条なくば、「日本軍」が米軍とともに侵略戦争をしていただろう。憲法と平和運動によってかろうじて「戦後」は続いてきた。軍拡が断行され、台湾有事などが煽られる今を「新しい戦前」にせず、一九四五年を永遠の「終戦」年とすべく、運動の力で憲法を改悪から守り、真に実現したい。

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      2024年8月2日

     エンターテインメントの社会性

 「虎に翼」には、朝ドラ史上最高傑作という声さえ聞こえる。人間の平等を規定した憲法14条を正面から押しだしても、何の違和感もなく、エンターテインメントとして十分に楽しめる。作者、吉田恵里香は思想や社会性を冷笑する風潮を批判して言う。「実際に生きづらい人たちや当事者が声を上げたり一生懸命前に出たりすると、時に矢面に立ち、攻撃を受けてしまう。だから私はエンターテインメントが代わりに声をあげて、攻撃をかわす盾になれたらいいなと思っています」。
 「3年B組金八先生」を書いた小山内美江子もこう言っていた。「人権というのは、条文や条件ではなくて、人間の生きる喜びまで到達したときに、はじめて確立するのだろうと思うんです」。「異質なものがあっていいのだということ、そこに人権を考える基本がある。異質のものが虐げられているならば、それを感じる心、それと一緒に生きていく気持ち、その人が浮かびあがることは、自分にとってもとても楽なことなんだという考え方。そういうものが一人一人にあって人間ですよ」。
 優れたドラマは人権を根づかせる。正義と民主主義は優しさ(易しさ)の中に宿る。


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      2024年7月2日

     「強欲インフレ」に懲罰を

 物価高騰が生活を直撃している。そこで「大企業も、中小企業も、労働者も、等しく苦しいのだからしょうがない」と思ったら大間違いだ。国内が原因の物価上昇を見ると、昨年度の上昇分4.1%のうち、賃上げ要因は0・3%分にとどまり、割合では1割に満たず、残りの大半は企業収益と考えられる。労働分配率は低いままで、実質賃金はピーク時の1996年から年収で46万円も減った。その一方、大企業の純利益の総額は前年比15.4%増の40.7兆円。3年連続で過去最高を更新。物価高騰の真相は企業がコストの増加分以上に値上げする「強欲インフレ」だ。
 資本主義市場経済では価格統制は難しいから、莫大な儲けに課税して社会還元してもらおう。10年間で180兆円近く増えた大企業の内部留保に時限的に課税して財源をつくり、社会保険料負担軽減などで中小企業の賃上げを支援しよう。全国どこでも時給1500円以上を実現しよう。

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      2024年6月4日

     金権腐敗政治の一掃は政権交代しかない

 大山鳴動して鼠一匹。自民党の政治資金規正法改正案は、政治資金パーティー券購入者の公開基準額を引き下げ、政策活動費の領収書を10年後公開するという。企業・団体献金の禁止には一切触れていない。公明党と維新の会が賛成し成立した。これで金権腐敗政治がなくなると思うのは、自民党議員を含めて誰もいないだろう。企業献金による「財界主権」も傷つかない。とにかく騒ぎを収めれば有権者はじき忘れてくれる。政府与党の狙いはそれしかない。
 民主主義は「多数決」と「話し合いと妥協」だとよく言われる。しかし少なくとも今回のそれらは自民党の免罪でしかない。そもそも安倍政権以降、民主主義は乱暴に蹂躙され続けた。数の暴力で問答無用の強行採決ばかり。企業・団体献金禁止を含む政治改革を実現し、金権腐敗政治をなくすと同時に民主主義・国民主権を回復するには、政権交代しかない。総選挙まで、自公の厚顔無恥と維新の裏切りを忘れずにいて、リベンジを誓おう。

※注 自民党の政治資金規正法改正案が自民・公明・維新の賛成で可決成立すると予想して書いたが、維新は参議院では反対した。

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      2024年5月2日

     河村名古屋市長は即刻辞任を

 河村たかし名古屋市長は4月22日の会見で「祖国のために命を捨てるのは道徳的行為だ」と述べ、自民党市議団からさえ批判された。30日の会見でも発言を撤回せず、かつての日本の戦争が侵略であったことを認めなかった。「戦争を起こらんようにして」とタテマエは言うものの「だけど現実的に起こってしまうわけですよ」と無責任にホンネを漏らしている。二度と戦争を起こさない決意で制定された憲法を守る義務が公務員にはある。ところが河村氏はかつて「南京大虐殺はなかった」と歴史をねじ曲げており、そういう暴言が友好を妨げ戦争を招くのだ。戦死者を本当に悼む気持ちがあるのなら、不戦を誓うべきで、今「国のために命を捨てるのが道徳的」というのは、戦死を強いた指導者の過ちを免罪し、「新たな戦前」へと社会を向かわせるものだ。
 憲法の根本原理は個人の尊重であり、国が命を奪うことは厳に退けられている。政治家としての最低限の民主的良識を欠き、憲法を尊重しない河村市長は即刻辞任すべきだ。

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      2024年3月25日 (→ 4月号掲載)

     替え歌断片集 嘉門タツオ風?

   ☆裏金ブギ(笠置シズ子「買い物ブギ」)
ロッキードとリクルート 一緒に来たような てんてこまいの政局で/何が何だか さっぱりわからず/ …… /ひとのめいわく考えず わてほんまに よう言わんわ/ ……
/おっさんおっさん 券なんぼ おっさんおっさん おっさんおっさん/わしゃ知りまへん/わてほんまに よう言わんわ
   ☆遺憾だ側(かぐや姫「神田川」)
あなたはもう忘れたかしら/パーティー収益、裏金にして/ …… /安倍がいたあの頃
何も恐くなかった/ただ「赤旗」の記事だけが恐かった
   ☆永田町で逢いましょう(フランク永井「有楽町で逢いましょう」)
安倍派を待てばカネが来る/バレて来ぬかと気にかかる/ …… /あなたと私の合い言葉/知らぬ存ぜぬで通しましょう
   ☆政権さよなら(オフコース「さよなら」)
もう終わりだね クニが汚く見える/ …… /僕等の天下だね いつかそう話したね/
まるで今日のことなんて思いもしないで/ …… /愛したのは確かにカネだけ/現生のカネだけ

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     2024年3月1日

     グリーンランドの錯覚

 グリーンランドは世界一大きい島だ。世界地図ではオーストラリア大陸より大きく見えるがさすがにそれは違う。メルカトル図法による面積の歪みのせいだ。うかつにも私はこの島が欧州大陸に近いと昨年まで思い込んでいた。本当は北米大陸に近い。本国デンマークからは遠く離れ、カナダの方がずっと近い。北極中心の地図を見れば一目瞭然だ。欧米の大西洋中心の世界地図でもはっきり分かるが、太平洋中心の日本式地図ではこの島が左右両端に分かれているのもあって、何だかよく分からない。
 近年、そこには中国が経済進出し、2019年にはトランプ米大統領が島ごと買おうとしたが、デンマーク首相曰く「グリーンランドは売り物ではない」。現地住民は独立志向も強い。そんな状況なのに、自分はいまだに欧州中心主義の影響で、地理を勘違いしたのかもしれない。
 何かにつけ、固定観念で誤っていることはあり得る。見方が歪んでいることもある。ちょっと視点をずらしてみよう。世界も日本も社会も人も違って見えてくるだろう。

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      2024年2月2日

     名古屋人の矜持(きょうじ)再建

 東海三県では朝日新聞の夕刊が昨年5月からなくなった。夕刊不要という読者が多いためだ。東京は残るのに。夕刊は音楽・美術・演劇・映画等々の文化情報や学術関連の記事などが多い。ということは、名古屋周辺は文化水準が低いということか…。そういえば、名演小劇場、シネマテーク、千種正文館本店もなくなった。下品な市長の顔が目に浮かぶ。いや、他でももっと悪質な政治家を選んでいるところはいくらでもあるけど。
 かつて名古屋人は東京などに対してコンプレックスが強かった。ところがバブル破裂後不況の一時期に、日本一元気な名古屋経済などとおだてられてから妙に強気になった。でも内面の豊かさや文化の香りはどうなのか。いや、よそと比べる必要はない。藤井聡太8冠を見ると、あれだけ勝っても決して他者を侮らず、ひたすら謙虚に自身の将棋の道を究めようと努めるだけだ。足元にも及ばないが、我々凡人も知的文化的に自ら精進する品格を持ちたい。

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      2024年1月1日

     金権腐敗・自民党政治に終止符を

 自民党各派閥のパーティー券問題では、政治資金規正法に違反して、収入の一部を政治資金報告書に記載せず裏金化している。そこで資金の流れをより透明化するための法改正などが提起されている。しかし透明化は当然であり、問題は企業団体献金の禁止まで進めるかだ。
 こんな汚い政治は真面目な庶民とは関係ない、と思うのが一番いけない。企業献金による政治買収の結果、消費税を上げ、法人税を下げ、大企業に補助金を大盤振る舞いし、大軍拡で社会保障を削減する悪政が強行されている。我々の生活困難はすべてこれが原因だ。
 自民党はごまかすために「政治改革」を唱えてマスコミが乗るだろう。しかしリクルート事件後の「政治改革」は政治買収体制を正さず、民意を歪める小選挙区制を導入して保守独裁体制を作った。自民党には金権腐敗政治を正す意思も能力もない。マスコミが「政治改革」を言い出したら、「自民党政治を終わらせよう」と言い返そう。

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      2023年11月3日(「もりやま」NO250、12月18日付発行に掲載)

     未来を切り開く若者たち
  
 川中だいじさんは小学生のときから、大阪都構想や核兵器禁止条約など、政治に興味を持ち、友人たちとも話してきたが、先生や大人たちから、政治に関わるなと何度も怒られた。これこそが、日本の政治がいつまでもダメな最大の原因に違いない。しかし彼は中学校入学直前の今年3月、一人で「日本中学生新聞」を創刊した。ネット検索して見ると、「中学生による 民主的視点から書かれた 新しい読みもの 誰にも遠慮することなく 書きたいことを書く」と謳い、実に堂々たる内容だ。SNS上で「反日」「赤」とたたかれるが屈しない。
 私学助成の署名に取り組む高校生が語る。「運動とは、ただ単に権利を訴えるだけに留まるものではないように思います。権利を訴えるための力強い言葉は、自分自身の苦しみを明かすことで獲得されるようにも思います」。こちらは机上の知識を超える実践的思想をつかんでいる。
 オトナ政治家たちの醜態にはホントうんざりだが、大谷翔平や藤井聡太のような天才だけじゃなく、日本社会の希望を託せる普通の若者たちがいることを銘記したい。

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      2023年10月3日

     形骸化した民主主義に魂を込める民意

 司法の独立が危うい。野党が憲法53条に基づいて国会召集を求めたのに、安倍内閣は長期間応じなかった。それを違憲とする訴えに対して、9月12日、最高裁は上告を棄却した。森友事件の文書改ざんで自殺した赤木俊夫さんの妻・雅子さんが財務省に文書開示を求めた訴訟でも、9月14日、大阪地裁は請求棄却した。雅子さんはショックで倒れ込んだ。
 沖縄県の米軍辺野古新基地建設では、防衛省が求めた設計変更を県は不承認とした。すると国は県に承認するように是正指示を出した。県は是正指示は違法だと訴えたが、9月4日、最高裁は県の上告を棄却した。三件いずれも、裁判所は形式的な屁理屈で、訴えの内容に踏み込まず門前払いしている。政府の意のままだ。ところが水俣病訴訟では、9月27日、大阪地裁が国などに対して原告への賠償を命じた。裁判官は昨年現地視察していた。
 結局、政権を変える方が早いか…。そう思わせて、司法は情けなくないのか。ともかく世論の後押しで、水俣病裁判のように、裁判所を訴えの内容に正面から向き合わせるほかない。

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      2023年9月2日

     時代を超える地道な努力

 「らんまん」は歴代「朝ドラ」の中でも屈指の傑作だろう。そこからいささか地味な話題を。
 主人公の万太郎が東大に復帰したとき、植物学の先端は解剖と顕微鏡での研究に移っており、彼は「時代遅れ」と罵倒される。しかし地を這いつくばって採集し観察・分類するのが植物学の原点で不変だろう。彼のモデル・牧野富太郎の植物図鑑は今も刊行され親しまれている。時代により学問の最先端は変わるが、その時点で時代遅れとされていたものが、実は時代を超えているということはありうる。それは後になって分かる。
 作曲家・西村朗は、現代人がバッハに学ぶ教訓として、「流行に乗って安易なことをしてはいけない。めんどうなことをきちんとやれば、必ず時代を超えられる」と語っていた。バッハは当時、時代遅れと見られて、テレマンなどより人気がなかった。しかし今、テレマンを知る人は少ないが、バッハはみんな知っている。彼は中世の音楽を総括し、「音楽の父」と称えられるが、そんなことより、今も多くの曲が親しまれている。嘉門タツオの ♪チャラリー 鼻から牛乳♪ の原曲はバッハの「トッカータとフーガ ニ短調」だ。

   <付記、2023年9月12日>

 作曲家の西村朗氏の言葉を引用しましたが、今朝の「朝日」に氏の訃報が載っており、驚きました。9月7日、右上顎がんで死去、69歳。
 西村氏は現代音楽の代表的な作曲家の一人ですが、残念ながらその曲をしっかり聴いたことはありません。しかしときどきEテレの「N響アワー」の司会や、NHKFMのN響定期演奏会の解説などに接し、明晰な話に親しんでいました。先の投書の引用文は、1995年11月16日のNHKFMとメモしてあるので、おそらくN響定期演奏会の解説者としての発言でしょう。
 ところで朝ドラ「らんまん」はいよいよ残り少なくなりました。オールラウンドに楽しめる名作ですが、社会派的関心からすれば、大河ドラマをも超えて歴史の本質を描いている点を最も評価します。特に台湾視察のエピソードは、欧米からの自立とアジアへの侵略という日本近代史の両面性を描きながら、そこに平和の追求を重ね合わせて秀逸でした。娯楽作品としてここまでできる、ということに喝采します。

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      2023年8月1日

     恣意的な衆議院解散は憲法違反

 歴代首相は与党に都合のいいときに衆議院を解散してきた。こういう不公正な制度は世界でも少数派だ。マスコミも恣意的解散には反対しているが、実効性のある対案は出てこない。これは政治的慣行の問題ではなく、そもそも憲法違反だと私は思う。天皇の国事行為を定めた憲法7条を根拠に解散されるが、本来それは解散を形式的に公示する権限にすぎない。象徴天皇制では天皇に政治的権限が一切ないのだから当然だ。内閣が好きなときに衆議院を解散する権利など、そこから出てくるはずがない。解散できるのは、内閣が不信任された場合の対抗手段としてだけだ(69条解散)。他の場合に有権者の信を問いたければ、与野党合意で内閣不信任案を形式的に可決して解散総選挙を実施すればいい。それは与野党なれ合いではあるが、与党にだけ有利な今の7条解散よりずっとましだろう。7条解散なるものは、三権分立に反して行政権を優遇し、何よりも象徴天皇制の真意、したがって、国民主権原理に背くものである。

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      2023年7月5日

     戦国ユートピア構想に託された願い

 テレビドラマはあくまで創作エンターテインメントだから、時代劇で歴史を学ぼうというのは了見違いだ。むしろそこには作者の願いや現代人へのメッセージを見るべきだろう。
 大河ドラマ「どうする家康」の築山殿事件の新解釈には驚いた。家康の正室・瀬名(築山殿)は、東国の戦国大名がみな同盟を結び、平和外交・互恵経済による「慈愛の国」「戦のない国」を作ろうという「戦国ユートピア」を構想し、それが信長に露見して自害に至ったというのだ。
 史実を無視した「おなごのままごと」と揶揄する向きもあろう。しかしいつまでも戦をやめない男たちに業を煮やした女の新発想は現代にも通じる。平和とジェンダー平等はセットであり、瀬名に負けないように、日本国憲法を本当に活かした平和構想を練り上げ、後々の世代まで伝えよう。それが今を生きる私たちの使命だろう。

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     2023年6月1日

     情けは人のためならず

 生きづらい世。自分は苦労している。弱者なんか支援するな。あいつらの特権で俺が損する。――そう言って必至に椅子を取り合い、何とか自分の椅子を確保して、立ってるヤツを嗤う。椅子取りゲームの陰には、あらかじめ椅子を抜くヤツがいて、下々の争いを高みの見物している。庶民の叩き合いは足の引っ張り合い。助け合ってこの仕組みをひっくり返すべき。
 情けは人のためならず。「情けをかけることは、結局その人の為にならない(ので、すべきではない)」というのは誤解。正しい意味は「情けは他人の為だけではない、いずれ巡り巡って自分に恩恵が返ってくるのだから、誰にでも親切にせよ」。
 「バッシングは人のためならず」ならどうか。「バッシングすることは、その人の為にならない(ので、すべきではない)」という解釈でもいい。さらに深くは「バッシングすることは他人の為にならないだけではない。いずれ巡り巡って自分に被害が返ってくるのだから、誰にもするな」という意味にもなる。人間社会において、競争には功罪いろいろあるが、協力は絶対必要不可欠であることを忘れないように。


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      2023年5月3日

     変えるべきは憲法より遅れた現実

 戦禍に苦しんだ日本人は憲法9条を喜んで受け入れたが、その後、単独講和とともに日米安保条約を締結し再軍備へと、憲法違反の道へ進んだ。憲法制定の検討時、政府はGHQに対して「日本には女性が男性と同じ権利を持つ土壌はない」と言い放ったが、憲法14条に男女平等は書き込まれた。しかしある意味で当時の政府には「先見の明」があった。未だ日本の男女平等度は世界最低水準にある。
 改憲派は憲法が現実に合わないから変えようと言う。しかしそのギャップが生まれたのは、彼ら支配層・政府の政治によって、平和でも人権でも、日本社会の現実が憲法よりずっと遅れてしまったからだ。そういう恥ずべき現実に合わせて憲法を変えるのでなく、今からでも憲法を活かして、現実の遅れを取り戻し、少しでも理想に近づくため政治を転換すべきだ。

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       2023年4月4日

     虚構的真実の創造力

 朝ドラ「舞いあがれ!」が終了した。脇役で印象深いのが、ヒロインの町工場の職人・笠巻。皆から尊敬され、寡黙でシャイ。それを古舘寛治が本物の職人と見紛うほど自然に演じていた。古舘はどんな作品においても、自然な佇まいで物語の中に存在している、と評される。同時期再放送の朝ドラ「本日も晴天なり」では、津川雅彦がヒロインの父で染物職人の桂木宗俊(かつらぎむねとし)として登場。芝居の義賊・河内山宗俊(こうちやまそうしゅん)にちなんで、周囲から「そうしゅん」とか「河内山」と呼ばれる。典型的なべらんめえ調の江戸っ子「そうしゅん」を、津川は芝居っ気たっぷりに、まさに演技でございますという感じで作り上げていた。古舘と津川の対照的な役作りはともに見事な職人技だ。ドラマは虚構を通じて真実を語り、想像を創造に転化する。それを実現する俳優の技は一色ではない。

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       2023年3月3日

     人の価値を真に支えられる社会へ

 東京五輪の構造的汚職に見るように、全く商業主義化された五輪は資本主義的疎外の権化(ごんげ)だが、それを克服する人間性を示すメダリストもいる。小平奈緒が中学1年生で初めて全国大会に出たとき、父の言葉は「友達をたくさんつくって来いよ」。やがて世界に出ても、友達づくりを目標に掲げ、言葉やものの見方などの違いを考えた。「自分にないものを人は持っていると気づくことができた。成績や順位がつくと、優劣がその人の価値と決めつけられる錯覚をすることがある。でも、人の価値はそういうことでは決まらない」(「朝日」デジタル、1月20日付)。
 厳しい競争に明け暮れるアスリートの言葉だけに大変な重みがある。ところが我々凡人は、弱肉強食の資本主義的経済競争の観点だけで人の価値を決めてしまいがちだ。すべての人がたとえどんな弱点を抱えていても、個人として尊重され、その人らしく生きていける社会を作り上げること。それは憲法13条が目指す社会像であり、その土台は25条の生存権保障にある。さらにその真の実現は資本主義を克服した未来社会にこそある。

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     2023年2月2日

     諸政府の戦争準備 VS 諸国民の平和交流

 日本侵略時の中国の悲劇と抵抗を描いた映画『南京!南京!』の陸先監督は日本人をこう評した。「普段付き合うときはみんなすごく優しいし、礼儀正しい。仕事も真面目で規則も守ります。すごく教育が高いと感じます。しかし、一段階その心の奥に入ると、日本人は心の中になんとも言えない誇りを持っています。そしてさらに深く入ると、孤独や失望があるように感じられます」。
 ここには透徹した観察眼とともに深く温かいまなざしがある。侵略国家を批判しても、その国民をも軽蔑するのでなく冷静に捉えている。私たちは同水準の深い理解を諸外国人に返さねばならない。多くの政府が愚かな振る舞いをしても、そこで懸命に生きている人々に思いをはせ信頼する。憲法前文は言う。「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」。
 諸国民の経済・文化交流が、陸先監督のような敬意ある深い心の交流にまで高められるとき、戦争は起こりえない。日本と世界の政府どもが戦争の準備をしている今、諸国民の活発な交流こそが平和の準備なのだ。

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      2023年1月6日

     戦争と平和、勝負の新年

 昨年末、岸田内閣は敵基地攻撃能力を保有し、軍事費をGDP2%まで倍加するために、安全保障3文書の改定を閣議決定した。選挙抜きに、国会さえ無視する専制政治そのものだ。ロシアのウクライナ侵略で不安を煽って、空前の軍拡を支持する空気が作られている。マスコミは軍拡を当然の前提に、その財源をどうするかだけ議論しているが、問題は軍拡そのものだ。抑止力を高めたところで相手国は「まいった」とは言わず、いっそうの軍拡が返ってくるだけだ(安全保障のジレンマ)。米軍得意の先制攻撃に自衛隊が加担すれば、報復攻撃で焦土となるのは米国でなく日本だ。ウクライナ戦争の惨状からの教訓は「攻められたらどうする」ではなく、絶対に戦争はできないから、「どう平和外交を組み立てるか」だ。東南アジア諸国連合は戦乱を克服し平和的対話の気風を確立した。東北アジア(日本・中国・朝鮮半島)はそれに学んで、米中の覇権主義的対抗をいさめ、東アジアに平和外交を確立すべきだ。そこにこそ日本の平和憲法の真骨頂がある。

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      2022年12月2日

     傑作ドラマ、異形の主人公

 「鎌倉殿の13人」は大河ドラマの最高傑作という声も聞かれる。田舎の純真な青年・小四郎がやがて血生臭い権力闘争を勝ち抜き、非情・果断の執権・北条義時へと変貌する。源平の争乱から鎌倉幕府初期という時代設定の中で、この義時を主人公に選び、権力悪を内面深く描き、大河ドラマとしては実に異彩を放った。
 来年の朝ドラの主人公のモデルは植物学者の牧野富太郎と聞く。NHKに無理な注文であろうが、大河や朝ドラに、権力者や成功者ではなく、権力と対峙する主人公を登場させてはどうか。たとえば宮本顕治・百合子や瀬長亀治郎は皆さんご存じだろう。他に、戦前著名な経済学者にして共産党の指導者だった野呂栄太郎、唯物論研究会の指導者・戸坂潤、求道的な思想遍歴の末にマルクス経済学と共産党にたどり着いた河上肇などの生涯はきわめてドラマチックだ。偏見の霧さえ払ってしまえば、見事な光景が人々を魅了することは間違いないのだが…。

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      2022年11月2日

     統一協会の政策に注目を

 霊感商法・異常な高額献金・集団結婚など、反社会的カルト集団として、統一協会に批判が集中している。自民党議員の一部は彼らと政策協定を結んで選挙支援を受けている。協会の本部は韓国にあるから、それは内政干渉だ。日本から巨額の資金が韓国の本部に送られている。それも考えると、協会とズブズブの関係にある自民党は正に売国奴だ。しかし自民党は韓国を敵視してきた。この矛盾をどう考えるか。
 昨年の総選挙で協会から支援された自民党の衛藤征士郎・元衆院副議長は、日本は韓国の兄貴分であり、日韓関係は日米関係と同様に対等ではない、と述べている。つまり日韓はアメリカ親分の子分で兄弟分だということ。反共主義で結ばれた米日韓の支配従属関係が第一であり、日本人の大金が韓国の協会本部に貢がされようと、内政干渉になろうと小さな問題なのだろう。そもそも統一協会と自民党は政策が同じだから、内政干渉されたという意識もなかろう。自民党は韓国の元「慰安婦」「徴用工」はいじめるけど、反共の同志とは手を結ぶ。それだけのことだ。
 統一協会の問題は反社会性だけではない。改憲・軍拡・ジェンダー不平等を推進する自民党=統一協会ブロックの政策が日本人を不幸にするのだ。

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      2022年10月2日

     生きた書いた愛した

 「瀬戸内寂聴さん お別れの会」で平野啓一郎さんが語るところでは、寂聴さんから「あなた、それを小説に書きなさい」とよく言われたとか(「朝日」7月28日付)。「命令している感じはもちろんなく、助言という生ぬるい表現も似つかわしくない。自分が本当に大事だと思っていることを、きっぱりとおっしゃっている風でした」。見所のある後輩作家への信頼感と厚情あふれる言葉です。今となっては遺言と言うべきか。
 寂聴さんはスタンダールの墓碑銘「生きた書いた愛した」を好んでいましたが、まったくその通りの人生だったと平野さんは評します。自分のことに引きつけるのは恐れ多いのですが、あえて言うと、薄情者なので「愛した」はひとまず措きます。考えたことを、特に社会について、みんな書いておきたい、という衝動があるので、「生きた書いた」には大変共感します。実際には借り物の思考ばかりだけど、一応自分の頭で考えてみたつもり…。文字通りの拙文のすべてが一個人の生きた証となるのを願うのみです。

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      2022年9月4日

     「自主憲法」の正体

 押しつけ憲法はダメだから、自主憲法にするという議論がある。押しつけでも中身が良ければ結果オーライだと思うが、憲法制定過程を振り返ってみる。当時、日本政府の草案は明治憲法の焼き直しだったのでGHQから却下された。GHQは高野岩三郎・鈴木安蔵らの憲法研究会の草案などを参考に現憲法の原型を作った。だから内容的には日本の進歩的知識人らの立派な見識が現憲法には反映されている。しかし形式的にはGHQから押しつけられた。まともな憲法を作る意思と能力が政府になかったからである。
 憲法前文は「自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務」を謳っている。自主独立である。これに対して、在日米軍の横暴と基地被害に文句を言わず、地位協定の改定を求めない勢力が、9条改憲を叫んでいる。自衛隊を米軍の手下として海外でも参戦できるようにするのがその目的だ。「自主憲法」というスローガンの狙い、実は、現憲法の自主独立を対米従属に改変する企み=押しつけ改憲なのである。

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      2022年8月3日

     似非(えせ)愛国心の醜態

 安倍晋三元首相の殺害に関連して、旧統一協会が大問題になっている。霊感商法や集団結婚などで多大な被害をもたらした反社会的カルト集団だ。彼らの聖典『原理講論』によれば、日本は韓国に奉仕する立場であり、毎年数百億円が日本人から巻き上げられ韓国に送られてきた。また1967年には教祖・文鮮明と岸信介元首相や右翼の大物たちが集まって勝共連合の日本導入を決めた。自民党に送り込まれた信者たちは、ビラ配布・電話作戦の他、他候補のポスター剥がしなど汚れ役でも重宝された。思想的にも組織的にも自民党は韓国発のこの反共謀略集団と骨がらみの関係だ。
 ところが自公政権は元「徴用工」「慰安婦」の問題で韓国バッシングを煽ってきた。日本人に戦争の反省を促す正しい韓国人たちをおとしめ、逆に多くの日本人を自己破産に追い込んできた韓国発の反社会組織から政治支援を受けてきたのだ。自分たちの政治的利益最優先で、正義も倫理もなく、日韓両国民の敵。それが、「愛国心」や「道徳」の大好きな自民党の正体(醜態)である。

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      2022年7月7日

     社会進歩の錯綜した道

 もう50年以上も政治をリアルタイムで見てきたが、残念ながら近年どんどん悪くなっている。特に戦後最悪の安倍政権が憲政史上最長を記録し、ここまで有権者が政治権力に大甘になったのには驚きを禁じ得なかった。しかし歴史は単純に後退ばかりしているわけではない。憲法13条の個人の尊重が注目されるようになったのは今世紀になってからではないか(民主勢力の意識をも含めて)。「私作る人、僕食べる人」とか「24時間闘えますか」という前世紀のテレビCMはもはや絶対許されない。ジェンダー不平等や過労死推進は少なくとも建前としては公共から追放された。
 ただし社会進歩の度合いは最も遅れた層の意識水準で計られる(宮本百合子)。選挙の秘密投票は本音を解放する。格差・貧困の拡大、不公正の横行は差別・排外主義・軍拡の温床となる。個人を尊重する社会はすべての人にふさわしい椅子を用意するが、資本主義社会は間引いて椅子取りゲームを強要し、立ちんぼは自己責任とする。そのからくりに気づき、弱者バッシングを許さない人権意識向上と経済変革による生活安定が必須だ。


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      2022年6月3日

     参院選で平和と暮らしを死守

 自民や維新など改憲勢力が参院選で2/3を超えれば平和憲法は危機を迎える。ロシアの侵略戦争の衝撃で短絡的に軍事費拡大の世論が高まっている。政府の扇動で共産党を除く政党はみな「軍拡の大政翼賛会」だ。こういう民主社会の危機をナチスの軍人ヘルマン・ゲーリングは織り込み済みだった。――戦争を望まない普通の人々を戦争に引きずり込むのは常にきわめて単純で簡単だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国家を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国家についても等しく有効だ。――正に日本政府も反戦デモを敵視している。
 ウクライナの惨状は「絶対に戦争をしてはいけない」と告げる。中露も含めた東アジアサミットでの不断の話し合いこそが戦争を防ぐ。軍拡は戦争の抑止どころか、軍拡競争の悪循環から戦争の危機を引き寄せ、膨大な軍事費は福祉を圧迫する。
 「軍拡と改憲は平和と暮らしの敵」。これを参院選の合い言葉としたい。

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      2022年5月2日

     空想の効用

 先月、プーチンを戦犯として裁けなどと書いたので、空想だと嗤った読者もあろうが、今月も空想を書く。イラクを侵略したブッシュが安穏と暮らすアメリカに国連本部があるのはおかしい。日本が安保条約を破棄して非同盟中立外交を確立したら、沖縄の米軍跡地に移す。今後、世界の中心は欧米からアジアに移る。沖縄は東アジアのへそという格好の位置にあり、戦争の反省の象徴だから、国連にはふさわしい。職員には広島・長崎での研修を義務付け、各国首脳の訪問も促す。
 空想は腹の足しにはならないが現実が間違っていることに気づかせてくれ、想像と共感に進化しうる。核兵器禁止条約を実現したのは、人道的アプローチ――生き地獄への想像力だ。芸術も無駄と言われることがあるが、ジョン・レノンの「イマジン」は世界中の人々の平和の想像力を刺激し、抑圧された人々を励ましているではないか。

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      2022年4月2日

     侵略戦争への反省と再生の輝き

 ウクライナを侵略したロシア軍が数日で首都を陥落させ傀儡政権を樹立する、という大方の予想は外れた。後は、プーチンのメンツを保つため、ウクライナ東部の勢力拡大を「戦勝」として終結するのか。今後、ロシアは経済制裁で人々の苦難が続き、悔い改めない侵略国として世界から警戒し蔑視されるだろう。誇り高いロシア人はそれでいいのか。
 一発逆転の起死回生策がある。プーチンを戦犯として裁き、核兵器禁止条約に加入し、核保有国の中で率先して核兵器を廃棄するのだ。元来ロシアは文学・音楽など世界に冠たる芸術大国だ。覇権主義の軍事大国という誤った沽券を捨てれば、平和的な文化国家として再生できる。それこそが米国やNATOに屈服するように見えて、逆にその先を行き、世界から尊敬される道だろう。
 かつての軍国主義日本は敗戦の焼け野原を前に反省し、平和憲法の下で戦後の繁栄を築いた。ただし日米安保体制下、再軍備し、米国の核抑止力に頼り、核兵器禁止条約に未加入なのは誤りだが…。敗戦への報復でなく民主化と平和追求という日本の前進面を象徴するのが、被爆者の歩みだ。米国への報復ではなく、自分たちの苦難の根源である核兵器の廃絶を掲げた運動は世界から尊敬を集めてきた。
 日本の戦後改革の初期、平和憲法制定を頂点とする非武装・民主化の道は、今なお混迷するロシアと世界に模範を示すものだ。そこからの逸脱を拡大してきたその後の歩みを是正し、東アジアにおける自主独立の平和国家として自己確立することが日本の世界への貢献である。

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      2022年3月4日

     四百年の棋史を飾る天才たち

 将棋のプロの多くは順位戦の5クラスに所属している。頂点の10人が所属するA級のリーグ戦で名人挑戦者が決定される。A級はトップ棋士の象徴だが、リーグ戦下位2名はB級1組へ降格する。今年度の順位戦では、かつて7大タイトルを独占した羽生善治九段が降格となった。51歳。天才も歳には勝てない。多くの名棋士たちも50代でA級陥落している。ところが大山康晴十五世名人は名人・A級在位ダントツ1位の44期。69歳、A級現役のまま亡くなっている。怪物としか言いようがない。
 最年少で五冠を達成した藤井聡太竜王は、多彩な質問にも落ち着いて実に的確に答えている。そこには棋界を背負う第一人者の風格さえ感じられる。勝っておごらず、相手の強さを称え、ひたすら将棋の奥深さへの挑戦を語る。謙虚で異次元の強さをまとう彼は、偉大な大山・羽生を超えて、「四百年に一人の天才」を実証するだろうか。

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      2022年2月4日

     NHKの影と光

 NHKは大嫌いで大好きだ。BS1スペシャル「河瀬直美が見つめた東京五輪」で、五輪反対デモにお金をもらって動員されているというデマの字幕が流れた。政府を批判するような輩は金目当てのうさん臭い連中だ、という印象操作だろう。常に政府寄りに偏向報道するNHKを象徴する事件だ。
 だけどたとえば日曜朝8時の「小さな旅」のタイトルバックに流れる大野雄二作曲のテーマ音楽は実にノスタルジックで秀逸。心に染み入り、懐かしい風景・人情とともに日本の幸せを感じさせる。朝ドラ「カムカムエヴリバディ」では、初代ヒロイン・安子の恋人は下宿の本棚に『日本資本主義発達史』を並べていた。著者は野呂栄太郎。戦前の共産党の指導者で当時最高の経済学者。朝ドラのメインテーマは、女性の自立と自由、反戦・平和。制作スタッフの隠れた心意気を見たように思う。

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      2022年1月3日

     全身悪病の治療

 全国各地の生活保護基準切り下げ反対の生存権訴訟で、大阪地裁で勝った以外は負け続けている。生活をかけて裁判に臨む原告に対して、各地裁の裁判官は請求棄却という結論ありきで、判決文をコピペで使い回しているらしい。福岡地裁の判決文は「NHK受信料」を「NHK受診料」と誤記しているが、その後の京都地裁と金沢地裁も「受診料」にしている。NHKは医者か。三つの判決文には他にも酷似した箇所がある。
 森友事件での財務省文書改ざんの裁判で、政府は1億円以上もの税金を払って裁判を終わらせた。よほど知られたくないことがあるんだ。「桜を見る会」の問題では、検察審査会の議決で再捜査した東京地検特捜部は安倍元首相を再び不起訴にした。再捜査がおざなりで検察の存在価値自体が厳しく問われている。
 国家権力は頭から腐り始め、官僚はもちろん検察も裁判所も同罪だ。マスコミもまともな監視機能を果たすどころか、「野党は批判ばかり」と言って悪政を支えている。この悪病を治すのはNHK受診ではなく、私たちの選挙勝利だ


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      2021年12月3日

     「渋い男」になりたかったけど……

 子どもの頃、竹脇無我はかなり二枚目だけど、渡哲也はイモ兄ちゃんみたいと思っていた。ところが二人ともいい歳になったら、竹脇無我はいかにも容色が衰えただけなのに、渡哲也の風貌は本当にいい具合に渋く熟成していた。できればそうありたいと感じた。
 ブラームスのクラリネット五重奏曲の冒頭、冬枯れを思わせる寂しさにぞくっとする。彼の故郷、北ドイツ・ハンブルクの冬は厚い雲が垂れ込める日々だろう。ブラームスが好きだと言ったら、なるほどと納得される――そんな渋い男になりたいと昔は思っていた。
 ところが四〇にして惑わずの孔子と違って、凡人の心は還暦過ぎても熟成しない。「老年期の落ち着きは、たぶん、ほとんどの場合、見せかけのものに過ぎず、たいていの人は心の中で、思春期だった時と変わらぬ、どうにもしがたい感受性と日々、闘って生きている」(作家・小池真理子)。やっぱりそうなんだ。

   ☆追伸
 夫婦そろって直木賞作家の小池真理子が、夫・藤田宜永を亡くした喪失感を綴った『月夜の森の梟』が刊行されました。「朝日」連載時から話題になっており、そこから引用しました。

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      2021年11月3日

     総選挙を終えて、野党共闘の未来

  ☆ 芽のある失敗と芽のない成功があることに注意すべきだ。 鎌田敏夫(脚本家)
 投票率が5割程度。「選挙だけではない、この国では、政治そのものが大切にされていないと感じる。仕事をしない政治家に政権をあずけるのかを問う選挙だった。結果を見て、暗澹たる気持ちになっている」(作家・中島京子)。自公維で2/3以上を許してしまった。憲法が危ない。自公の政治に不満な多数派に、立憲野党への政権交代が実現する新しい政治の魅力を伝えられなかった結果だ。今後、野党共闘と共産党への攻撃が強まるだろう。
 しかし共闘は暮らし・平和の他に、「ジェンダー」「気候危機」という新しい課題を提起した。それは蹴散らされたが、欧州では気候危機が一番の争点とされ政権交代している。共闘は未来を先取りしたのだ。日本では政治の話はタブーだが、北欧では10代からの政治参加が当たり前。後にこの総選挙を振り返って、与党は「芽のない成功」で野党は「芽のある失敗」だったと言えるように、これから地道に日本社会そのものを変えて行こう

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      2021年10月1日

     立派な活動家の陥穽(かんせい)

 本誌読者で菅前首相に期待した人は少ないだろうけど、あそこまで無能だとは誰も思わなかっただろう。対照的に、自分たちの周りの活動家を見れば、有能かつ善良で人格・識見も優れた人が多いと思う。しかし落とし穴はある。
 9月、ある活動にかかわる子どもがコロナ感染した。経路は不明だが、緊張が走った。活動の中心を担う人が極めて熱心なのはいいが、暴走気味でコロナ対策に対する考え方が甘い。感染拡大が心配されたが幸いにして収束した。しかしまったく無反省に見える。
 個人の活動要求と「世のため人のため」の思いが重なること自体はいいことだが、自分の要求が第一になっていると活動をおさえがたくなり暴走となる場合がある。コロナ禍はそれを明らかにした。命が第一を肝に銘じてほしい。

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      2021年9月2日

     思い込み・勘違いの深層

 テレビアニメ「巨人の星」の冒頭、重いローラーを回してグラウンド整備する場面をバックに主題歌が流れる。「思い込んだら試練の道を〜」。あのローラーはコンダーラというのだ、と思い込んだ幼少の渡辺徹には「重いコンダーラ、試練の道を〜」と聞こえた。彼はNHKFMのクラシック番組でその逸話を披露し、リスナーから思い込み・勘違いの話題を募集する「コンダラ・コーナー」というのを作って抱腹絶倒のネタを多く集めた。
 8月、朝ドラ「おかえりモネ」に「ド新人の空回り」という言葉が出てきた。すでに以前に登場していたときには「ド新人」が「ロシンジン」に聞こえて、中国人の名前と勘違いし、何か深い意味のある故事成句かと思っていた。単なる聞き違いだと知り、脱力…。常日頃、自分のやっていることが空回りだと思ってたので、大仰に心にしみたのだろう。思い込み・勘違いには心の深層が現れる。人は聞きたいものばかりを聞こうとする。

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      2021年8月1日

     政治的無力感の克服

 安倍政権以来、強権で無理を押し通すことが普通になり、反対勢力は無力感にさいなまれています。しかし五輪の強行開催について、武田砂鉄氏は「やるべきでないものを強引にやろうとしているのだから、いつになっても『止めろ』と言えばいいし、始まっても終わっても『止めるべきだ』『止めるべきだった』と言えばいい。/どうせやるのだから、何を言っても無駄だよ…中略…と引き下げる行為こそ無駄だと思う」と喝破しています(「赤旗」7月20日)。 
 7月2日に五輪中止署名を始めた上野千鶴子氏は、無力感は経験によって覆すことができる、として検察庁法改正案、入管法改正案などを反対運動で押し戻した成功体験を指摘しています。署名によって、市民の間にくすぶっているモヤモヤ感を見える化することが大事であり、それは総選挙にも影響を与える、と語っています(「朝日デジタル」7月3日)。まさに情勢を主体的かつ前進的に捉えたこの気概と行動に学びたい。

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      2021年7月2日

     世界で愛される日本の歌

 対米従属とアジア蔑視の歪んだ愛国心はダメだと思う。しかし日本が外国からほめられるのは素直に喜んでいる。日本の歌が世界でヒットするのは実にうれしい。
 2011年には、由紀さおりとピンク・マルティーニ(米国のジャズ・オーケストラ)が、「ブルー・ライト・ヨコハマ」など日本の歌謡曲をカバーし米国でもヒットした。昨年は松原みき「真夜中のドア〜stay with me」が世界中で大ヒットした。これは79年のデビュー曲だが、惜しいことに彼女は2004年に44歳で早世している。この他にも竹内まりやなど1970・80年代の日本のシティ・ポップが世界中で注目されている。「真夜中のドア」は、インドネシアのレイニッチがカバーしたのがきっかけで原曲もヒットした。彼女、美少女に見えるがすでに二十八か九。ちょっと芳根京子に似てるかな。イスラムのヒジャブをまとい、日本語を話せないのに完璧な発音で歌う。多様な世界で愛される日本文化よ! それにふさわしく、世界平和に貢献する日本人でありたい。

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      2021年6月2日

     忍耐強い日本人、暗闇に針路照明を

 一方で、阪神大震災の被災者が秩序正しく耐え忍ぶ姿は世界から称賛されました。日本人の美質です。他方で、家計調査を見ると、この20年間で、二人以上の勤労者世帯では、「世帯主収入の減少」「配偶者収入の急増」「社会保険料の大幅増」が特徴的です。日本経済の長期停滞下、企業の搾取強化と政府の悪政に苦しめられる家庭が、妻の収入増で何とかしのいでいます。個人・家族の自助努力でひたすら耐えて日々をやり過ごし、社会を変えようとしないのは日本人の欠点です。世の暗闇は続くよ。まさに長所・短所は表裏一体。ならば、社会を良くする道筋に十分納得できれば、日本人は忍耐強く政治変革の努力を惜しまないでしょう。野党が共通政策だけでなく政権共闘まで進むことが決定的です。

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      2021年5月1日

     「ていねいな説明」と「気持ちに寄り添う」

 集団的自衛権行使容認を閣議決定する、戦争法を国会で議決する、辺野古に米軍の新基地を日本が作ってやる、原発を再稼働させる、消費税率を上げる、後期高齢者医療の自己負担を2割にする…等々を報じるメディアの最後の言葉=「ていねいな説明が必要」。
 そんなもの有ったためしがない。ていうか、そもそもできないのでする気がない。放っておけばやがてみんな忘れる、と政府は思っている。それを全部分かっていてメディアは「ていねいな説明が必要」と言うだけ言っておく。それは悪政が執行されるのを前提にした言葉。その施策を「やめろ」とは言わない。「○○の気持ちに寄り添う」も同様。二つの言葉、本来は人々の優しい人間関係に発する。しかし、空虚なスローガンで「やってる感」を演出して悪政を誤魔化してきた安倍=菅政権にかかったら、白々しい嘘八百の言葉になってしまう。政権を変えるしか、美しい日本語を汚辱から守る方法はない。

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      2021年4月3日

     人の内面と生きた証し

 「一人の老人が死ぬことは一つの図書館がなくなるようなものだ」(コフィ・アナン元国連事務総長)。誰であれ、長い経験とそこから生まれた知恵は尊重に値する。それらを余すところなく書き残せるなら万巻の書物になる。だから考えたことすべてを文にしたいという衝動が私にはあって、毎月末に『経済』誌あてに長い感想文を送っている。本当はまともな論文にしたいが…。まあ雑文でも自分が生きて考えた証しではあろう。
 もちろんアナンは作文を勧めているわけではなかろう。その真意はこうだろうか。一人の人間の中身・内面は唯一無二の小宇宙であり、無限の広さと深さを持っている。それを他人は、いや自分でさえも知り尽くすことはない。平凡な老人も皆そうだ。そこにこそすべての人の尊厳がある。何かを残したか否かは問題ではない。それを忘れるな。

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      2021年3月2日

     ケアを考慮する社会像へ

 最近、ケアレス・マンという言葉を聞く。元来は不注意な男という意味だが、ケア(看護・介護・育児等)しない男という意味で使われる。経済的に自立している人でも、誰かの世話にはなっている。ケアがあればこその「自立」だ。社会はまさに相互依存で成り立っている。昨年2月、当時の安倍首相は突然、公立小中高校を一斉休校にした。子どもの世話はどうするのか、考えもせずに。ケアレス・マンの所業というほかない。
 コロナ禍で、社会に不可欠なエッセンシャルワーカーが注目されたが、介護・保育・福祉などの労働者は低賃金で冷遇されている。世の男はケアレス・マンからケアフル・マン(注意深い男、転じて「ケアする男」)になり、ケアレス・ソーシャル・モデル(ケアを考慮しない社会像)からケアフル・ソーシャル・モデル(ケアを考慮する社会像)への転換が求められている。

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      2021年2月2日

     我慢の限界、日本社会を変えよう

 ユニセフの昨年の報告書によれば、日本の子どもの身体的健康は先進38カ国中1位ですが、精神的幸福度は37位です。生活満足度が低く自殺率が高いからです。日本の子どもたちは何ごとも我慢の日々を送っているのか。
 大人も同じです。コロナ禍で自殺が増え、昨年は二万一千人弱です。同時期のコロナによる死者、三千四百人強の六倍以上です。これは世界から注目されています。日本人は苦難を忍耐でやり過ごす空気の中で生きており、一部の人は「カローシ」や自殺に至ります。それは少数ですが、多数者も他人事ではないと感じています。
 みんなが苦難を忍耐でやり過ごすことで、日本社会はようやく成り立っていますが、誰もが無理なく生きられる社会に変えましょう。経済も文化も豊かな社会でそれがなぜできないのか。眼前の第一歩――コロナ禍の営業自粛にはきちんと政府に補償させよう。

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      2021年1月3日

     悔いのない生き方を

 昨年末に作詞家のなかにし礼さんが亡くなりました。反戦平和の肚の座ったリベラリストでした。名作「わが人生に悔いなし」(加藤登紀子作曲)は闘病中の石原裕次郎に贈られ、彼の「白鳥の歌」(最後のシングル曲)となりました。「右だろうと左だろうとわが人生に悔いはない」という歌詞が心に残ります。私たちは「立場の正しさ」によりかかって、右派を見下し、勝利へと知恵を絞ることを怠ってはいないだろうか。
 大阪都構想の住民投票に際して、市民の中に維新への「改革者」幻想があることを共産党府委員会は率直に認めました。しかしそれと大阪市廃止への意見は違うことを察知して、何より事実の提供に努め、疑問を出してもらえるように、「説得」ではなく「対話」に徹しました。荒唐無稽な維新の政策の支持者をバカにするのでなく、生活者、市政の主権者として敬意を持って接し、熟議の民主主義を貫いて、劇的な逆転勝利をつかみました。
 支配層だって必死の思いで権力を死守しようとしています。新鮮な打開策を求める悔いのない模索だけがより良い世の中の扉を開きます。

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      2020年12月4日

     ボタンを下から掛けてみよう

 ある喫茶店で。高齢の女性がおぼつかない手でボタンを掛けてたら、ママがアドバイス。「ボタンは下から掛けると掛け違いがないよ」。あっ、これは政治にも当てはまる箴言ではないか…。
 戦後日本は全面講和でなく単独講和を選び、日米安保条約も結んだ。これが最初のボタンの掛け違い。それに合わせてボタンを掛けていくと、途中では誤りに気が付かない。一番下まで行くと分かる。それが沖縄。「間違ってるぞ」と叫ぶ沖縄の声。「途中のボタン」の本土は無視。一番上の掛け違いを直さないと「平和」という服は着られないのに…。辺野古の海と陸で抵抗している人々は、下からボタンを掛け直しているのだ。私たちも途中のボタンを掛け直して一番上のかけ違いを正したい。
 経済も同じ。コロナ禍で下から聞こえる生活の悲鳴。それに合わせて上層の責任を果たさせてこそ全体がよくなる。

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      2020年11月3日

     自信と傲慢、謙虚と卑屈

 「自信と傲慢」そして「謙虚と卑屈」も似て非なる態度です。その違いは、自分と周りの関係がちゃんとわかっているかどうかにあります。
 歪んだナショナリズム(対米従属意識とアジア蔑視)は日本の社会進歩の敵です。その「空気」の下では、米軍基地問題を批判すると「反米」とされ、日本軍「慰安婦」や徴用工の人権を擁護すると「反日」とされます。まさにアメリカに「卑屈」で、アジアに「傲慢」な態度です。日本は自主独立でどこの国とも対等平等という姿勢を確立すべきです。日米安保条約を破棄してアジアに平和をもたらす展望を、人々が獲得するなら、日本は歪んだナショナリズムを克服して、新たなアイデンティティを確立できます。アメリカに対して「自信」をもって、基地撤去を要求し、アジアへの侵略戦争と植民地支配を反省し、そこでの人権問題を「謙虚」に解決することができます。
 人の生き方と同じく、相手によって「傲慢」と「卑屈」を使い分けるのでなく、どこに対しても「自信」に満ちた「謙虚」な姿勢を貫いてこそ、国際社会で名誉ある地位を占められます(憲法前文)。

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      2020年10月4日

     学問の自由を守ろう

 安倍政権は官僚を意のままにするだけでなく、日銀、NHK、内閣法制局のトップまでイエスマンで固めた。安倍政治を継承する菅首相は学問の世界も支配するつもりらしい。「学者の国会」と言われる日本学術会議の新会員のうち6人の任命を拒んだ。日本学術会議法の趣旨や国会答弁に照らして、首相に任命拒否権はない。この6人は、秘密保護法・戦争法・辺野古基地建設などの問題について政府に批判的な立場だ。お上にたてつく学者は排除するという意図が明白であり、まさに学問の自由に対する干渉である。

 学術会議は戦争を目的とする研究に反対してきたので、かねてより政府・自民党は苦々しく思っていた。「戦争できる国づくり」に向け、学者を委縮させ、じゃまな組織を変質させようというのが今回の任命拒否の狙いだろう。昨年のあいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」弾圧事件に続いて、日本社会は戦争とファシズムへと大きな一歩を踏み出しかねないところに来た。菅首相の無法極まりない策動を絶対に許してはならない。

 今、書店には各出版社から玉石混交の新書が並んでいるが、その始まりは、日中戦争の最中、1938年の岩波新書の創刊による。『君たちはどう生きるか』の著者・吉野源三郎の発案であり、創刊の辞では、日本の行動を憂慮し、批判的精神と良心的行動との欠如を戒め、現代人の現代的教養を敢行の目的とすると謳っている。売り切れ続出だったという。当時の人々の教養水準がうかがわれるが、それでも戦争を防ぐことはできなかった。反知性主義が蔓延している今、私たちはさらにいっそう、平和・人権・民主主義を学んで語らなければならない。そんなとき、手軽な教養書の意義は大きい。逆に、菅首相が学問の自由を目の敵にすることの意味をかみしめる必要があるだろう。

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      2020年9月4日

     不惑、還暦、十八歳

 森友事件で財務省の文書改ざんが発覚したころ、事務次官のセクハラも大問題になった。被害者を思えば、女であることがこの社会でいかに生きにくいか、それを改めて強く感じさせられた。同時に、エリートの仮面に隠れた凡夫の愚行に、男は幾つになってもどうしようもない、という妙な感慨も覚えた。孔子は四十にして惑わずだが、凡人は還暦過ぎても惑うばかり。
 将棋の藤井聡太二冠は「四百年に一人の天才」と称される。家康の時代の初代名人・大橋宗桂以来の歴史を、彼は塗り替えるかもしれない。しかしその才よりも、十八歳にして、いつも自分を冷静に見つめるような泰然自若とした姿勢に感じ入る。藤井将棋の神髄は「謙虚・探究・俯瞰」と言われる。一つの道を極めることが人格を陶冶するということか。後は老婆心ながら悪いやからに引っかからないことを願うのみ。

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      2020年8月1日

     ダサい名古屋にエール

 ダサいという言葉は、かっこ悪い、やぼったい、田舎くさいという意味で、「切ないくらいの呪縛力を持つ」(大友良英:朝ドラ「あまちゃん」の音楽を担当。福島出身/朝日新聞「天声人語」2014年3月12日付より)。言われたら終わりなのだ。そこには一生懸命やってもかっこ悪い人たちとその努力を嘲うニュアンスがある。その不真面目さ・軽薄さが大嫌いなのだが、言葉としての的確さと破壊力は認めざるを得ない。
 かつて名古屋は偉大な田舎と言われ、名古屋弁は汚い方言の代表だった。ところがバブル崩壊後「名古屋経済は一人勝ち」などと一時言われたころから風向きが変わり、名古屋飯なるものがうまいと評価されるようになり、名古屋人は妙な自信をつけたように見える。しかし名古屋市長のノーテンキで傍若無人な言葉を聞くと、「ダサい」の破壊力に耐える強靭な謙虚さの方が尊いように思える今日この頃である。

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      2020年6月30日

       本気ですれば

 「自分ファースト」小池知事のパフォーマンス政治のせいもあって、東京のコロナ感染が収まりません。トランプみたいな人ならノコノコ出かけても行きますが、ちょっと躊躇するというか…。ところが六月、七十代の知人が基礎疾患を持ちながら、労組の東京行動に参加。悲愴な頑張りというわけではなく、やるべきことを当たり前のように意欲的にこなして帰ってこられました。いつもそんな調子。義務感が先に立ち、何ごとにつけ「やらされ感」が強い身としては、どこが違うか、と…。そこで浮かんだ言葉。

 本気
  本気ですれば/大抵のことができる/本気ですれば/何でもおもしろい/
  本気でしていると/誰かが助けてくれる
 安楽寺住職の書(岩波新書、高木仁三郎『市民科学者として生きる』より)

 これを知人へオマージュ(賛辞)として捧げるとともに、何か踏み出そうとしている人たちへエールとして送ります。それで自分はどうする?

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      2020年6月2日

     社会は存在する

 ジョンソン英首相は、コロナ感染で一時は命が危うくなり、軽快したときに「社会というものがまさに存在する」と発言し、退院時にNHS(国民保健サービス)スタッフに感謝を捧げました。これは保守党の大先輩、「鉄の女」サッチャー元首相の「社会なんてものはない。あるのは個々の男たちと女たち、家族である」を否定したものです。福祉国家体制を否定し、徹底した個人の「自己責任」を強調する新自由主義の「哲学」が敗北した瞬間です。
 冷徹な社会観を実行して「鉄の女」は英国を救ったとも言われましたが、その後継者は痛切な体験によって、うわついた「哲学」の誤りを悟ったのです。まさに「人間は深く感じないことはよく考えもしないのです」(島田豊『学問とは何か』より)。人々がコロナで困り果てているとき、安倍首相は星野源さんに便乗して、自己の優雅な生活模様の動画を発信して炎上しました。人間の生活を深く感じることのない者に思慮深い政治を期待することはできません。それは私たちも自戒すべきことです。

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      2020年5月3日

     平時と非常時 資本主義では

 ある教育学者が「差別の本質は、命の重さを人によって変えることです」と言いました。しかし医療のキャパを超えた大災害時などには、トリアージという命の選別が行われます。それはあくまで例外中の例外なのだけれども、資本主義経済の弱肉強食の競争では、差別・選別が日常化しています。非効率な人・モノは捨てられる。
 資本主義は平時から、いわば非常時のトリアージのような緊張感を背負うので、本当の非常時に備える余裕がありません。平時が非常時化することで、本当の非常時が「想定外」に押しやられます。余裕と備えなしの効率第一主義が、安全神話を振りまき、医療・福祉切り捨てを断行し、そこに原発事故とコロナウイルス感染爆発が襲ったのです。「余裕」を「ムダ」と読み替える資本主義に未来はありません。

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      2020年3月31日

     苦悩の時代に希望を求めて

YouTubeではたまにすごいものに遭遇する。青森県出身のSinonという女性の歌う「青春の輝き」"I Need to be In Love"を聴いて、カレン・カーペンターの再来かと思った。
 
 カレンは天賦の才に恵まれ、兄リチャードと共に大成功したが、私生活は不幸で摂食障害に苦しみ、32歳で夭折した。「青春の輝き」はそんなカレンが最も愛した曲だった。愛と希望を求めながらも、はかない人生を覚悟していたのか…。歌詞は痛切に迫る。

  そうよ、私は不完全な世界に完璧を求めている
  そして、馬鹿なことに
  それが見つかるとおもっているの 
    …中略… 
  朝の4時だと言うのに 目は冴えるばかり
  一人として友達の姿もなく
  希望にすがりついているだけの私
  でも 私は大丈夫よ.....

 ロック好きの少年は、軟弱なカーペンターズなんか聴けるか、と思っていた。しかし苦悩の中で時代を超える完璧な楽曲を追求したその偉大さに、今は脱帽するばかりだ。

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      2020年3月15日

     分断・ニセの分断・団結の真実

 米大統領選挙の民主党の予備選挙では左派と中道派が対決しています。中道派は「右派や左派のように分断を助長せず、団結を守る」と言い、その穏健な政策が幅広く支持されるように見えます。しかし前回なぜ極端な右派のトランプが勝ったのか? 

 分断そのものは1%対99%の間にあります。右派はこの99%の内部にニセの分断を持ち込んで、1%の支配層の問題を隠します。ネタは何でもアリ。米国では人種が一番。日本だと…若者と老人、中間層と低所得層、公務員と民間労働者、正社員と非正規、生活保護受給者と非受給者、etc… この「分断」された99%が団結して、1%と対決すべきです。「左派は分断を助長する」という中道派の非難は、存在する分断を隠し、分断をなくすのでなく、ないことにしているだけ。それでは生活苦の原因である支配層の政策が見えません。

 米国では、そんな中道派の政策では解決にならないことを多くの人々が感じ取ってきたので、生活苦を問題にしたトランプが前回期待を集めました。今回は問題の解決策を提示する左派にどこまで支持が集まるか…。日本では「分断を煽るな」というのでなく、「ニセの分断を見抜いて、解決のために団結せよ」と言うべきでしょう。

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      2020年2月4日

      定石と新手

*「新手一生」  升田幸三(将棋実力制第四代名人)
*「思い込みを捨て、思いつきを拾う」  小林幸子(歌手)
*「無知な者ほどたくさん『発見』する」 詠み人知らず
*「立場の正しさに寄り掛かった生き方はしたくない」 稲沢潤子(民主主義文学会元会長)  

 升田幸三と小林幸子の言、意気に感じて私たちも独創的でありたい。ただし定石にすでにあるのを知らずに、新手を発見したつもりになるのは恥ずかしい。定石をただ暗記するだけでその意味を知らず、代わりにダメな新手を発見するのも同様。ダメな新手を振り回す権威者を批判すると、「立場の正しさに寄り掛かった」者たちが襲って来たりする。定石と新手(基礎と独創性)はどちらも大切。肝心なのは自分の頭で考え抜くこと。

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      2020年1月2日

     中村哲さん「一隅を照らす」

 昨年、アフガニスタンの復興に尽くされた医師の中村哲さんが殺害されました。水不足で命が失われていく現実を前に、中村さんは「百人の医者より一本の用水路を」と考え、井戸を掘り用水路を引いて、荒地を緑の耕地に変えました。それこそが戦乱の続くアフガニスタンの平和への道だと考えたのです。人々は生きるために麻薬栽培をしたり、軍に雇われていました。農業で生きていければ武器を持つ必要はないのです。

 日本国憲法前文は、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼する安全保障の考え方を示し、世界の人々が恐怖と欠乏から免れる平和的生存権を謳っています。これは多くの人々に支持される一方、右派や「現実主義者」からは嘲笑されています。中村さんはこの理念をまさに体現しました。そしてあえて言います。ひどい現実の前にたおれました。

 私たちはそれをどう捉えるのか。しょせん、理念より現実に隷従するしかないのか。いや、中村さんは志半ばでたおれたとはいえ、その理念を一歩一歩確実に実現しつつありました。私たちも置かれた場所でそれなりのやり方で、彼の遺志を継いでいくべきです。

 憲法は未完なのです。世界は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」できるようにはまだなっていない。だから善意でも殺されることがある。でも始めから諦めないで、信頼に値する世界を率先して作っていけ、と憲法は言っているのです。憲法を完成させるのか、冷笑し改憲するのかが問われています。

 中村さんは国会に参考人として呼ばれ、自衛隊の派遣について「百害あって一利なし」と答えました。すると自民党席から「売国奴」というヤジが飛びました。安倍政権は中村さんの死後、慌てて感謝状を贈りました。しかし日本政府は彼の事業の妨害者であり、本当に彼に感謝するのであれば、今回の中東への海外派兵をきっぱり断念して、世界に9条平和主義の日本ブランドを再建すべきなのです。

 中村さんはクリスチャンでしたが、その座右の銘「一隅(いちぐう)を照らす」は天台宗=比叡山延暦寺の開祖・最澄の言葉です。その活動は一隅どころか世界を照らしました。私たちにそんなことはできないけれども、この地域で日本で一隅を照らし、その精神を受け継ぎたいものです。神仏を信じる者も信じない者も。保守も革新も。


参考:西谷修「中村哲さん追悼 アフガンの天に舞う」(「しんぶん赤旗」12月15日付)

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      2019年11月5日

     本当の多様性とは

 今や猫も杓子も多様性です。安倍首相さえも金子みすゞの「みんなちがって、みんないい」を引いて「新しい時代の日本に求められるのは、多様性」だと言いました。でもそれは――非正規雇用など、政治が生み出した格差や貧困、生きにくさを「多様な働き方、生き方」の名の下に「自己責任」扱いし、生活を支える国家の責任を「画一的」だと放棄する――そんな意味だろう(「赤旗」10月6日付)。
 美学者の伊藤亜紗氏によれば、「重要なのは、ひとりの人間の中にある多様性」であり、「まるごとのあなた」を理解することです。「例えば目が見えないからといって、いつも視覚障害者としてだけ扱われたらつらいだろう」(「朝日」夕刊10月9日付)。作家の平野啓一郎氏も「自分」は「個人」というより「分人」(複数の人格の集合体)だと言います。だから多様性への理解とは、「みんな違う」というだけでなく、相手を多面的に捉えて、「どんな人に対しても自分との共通点と差異を見出していくこと」(伊藤氏)なのです。お互いの適切な距離感と共感とによって「個人の尊重」が実現されます。

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      2019年10月12日

      「表現の自由」を守り真に実現する道

 「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展・その後」が再開されたのはいいですが、文化庁が補助金交付を撤回し、河村市長も分担金を払わないと言っています。この企画展は税金を使う公的行事にふさわしくないから払わないのであって、よそでやってもらうのは構わないから「表現の自由」を侵害していない、と市長は言います。しかしふさわしくないと決めるのは市長なのか。南京大虐殺はなかった、などと言い、まともな見識を持たない彼に決めてもらっては困ります。決定はしかるべき専門家に任せて、行政は多様な思想・表現の自由を尊重して、人々の知る権利を保障し、地域の豊かな文化的発展を推進する義務があります。今回の事件では、「表現の自由」を敵視する政権や右派政治家の本音が暴露されるとともに、それを実質的に保障するという、本来行政が果たすべき役割が明らかになりました。

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      2019年9月9日
  
     「表現の不自由展・その後」の中止問題

 「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展・その後」の中止問題で、再開を求める毎日のスタンディングに、できるだけ参加しています。始めは5・6人でしたが、メディアの報道もあり、今はだいたい10人以上でやっています。関東や関西など遠方からの参加者もあります。文句を言いに来る人や、ビラを破る人もいますが、声援もあります。
 ただプラカードを持って立っているのが基本ですが、マイクのある日には、参加者の訴えや歌もあります。ある日、私が20分以上の演説をしたら「自分の思いを言ってくれた」と、原稿を所望される方がいたので手渡しました。
 テレビが韓国バッシング一色で、従軍慰安婦を象徴する「平和の少女像」を嫌悪する向きもある中で、表現弾圧事件の現場から真実を訴え、愛知・名古屋の良識を示し、日本人の意識を変えなければなりません。愛知芸術文化センター前(地下鉄栄駅4番出口)で、休館日以外の毎日10時〜11時に行っているスタンディングに参加してください。

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      2019年8月11日

     安倍悪政と韓国バッシングの「空気」

 先日、「表現の不自由展」中止への抗議行動に参加していたら、モンクを言いに来た人がいろいろ言いつのった末に、「それでも日本人か」みたいな捨て台詞を残して去りました。あの人たちは主に慰安婦像が気に入らないのですが、従軍慰安婦問題の本質は女性の人権が侵害されたということです。にもかかわらず、日本軍はそんなことやってない、と思いたがる人たちは「日本国家のコケンに傷をつける韓国はけしからん」などと全く見当違いに怒っています。ときまさに、安倍政権が韓国への輸出規制というトンデモナイ政策で国民を扇動し、テレビなどが一斉にそれを応援している中で今回の事件は起きました。
 自分の幸せを本当に考えるなら、生活困難の原因が安倍の悪政にあることをまず見抜かなければなりません。不満を韓国バッシングで「解消」しても、何も解決しないどころか事態は悪化するばかりです。このごろ「反日」という言葉がすっかり定着しました。かつての「非国民」の復活です。それは「安倍が悪い」を「韓国が悪い」にすり替えて、政権への批判は許さないという「空気」をつくり出しています。河村市長や菅官房長官の検閲を示唆する暴言は大問題ですが、それを当たり前と思うような世論形成が目指されているのです。それを許せば、日本のファッショ化が下からも進んでいく――ここにこそ今回の事件の恐ろしい本質があります。
 マルクス・エンゲルス『共産党宣言』の結語は「万国の労働者、団結せよ」です。問題は他国との関係にあるのではなく、自国政府の悪政にあり、世界の多くが悪い政府に抑えられているところにあります。それを変えるには他国の人々と団結するのが早道です。日韓両国人民が交流を続け、平和・人権・民主主義で連帯することで道は開けます。
 日韓関係については、残念ながら「赤旗」を読まないと本当のことは全然分かりません。それはもはや一政党の機関紙というより、日本人の良心の機関紙であり、排外主義に染まらない日本人がまだいることを証明して、世界に向けてかろうじて日本の名誉を守っているのです。この状況、もしかして、今はもう戦前なのでしょうか? そうしないために、「表現の自由」を断固守るべく全力で反撃を!

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      2019年6月17日

     年金に自己責任論は通用しない

 封建社会では身分が固定され、職業選択の自由はないので、自分の生活の苦しみは「世の定め」でした。商品経済になると諸個人は独立し、自由・平等の市場で、それぞれ自己責任で幸福を追求します。しかしそれが資本主義経済に発展すれば、労働者が生み出した価値の内、何とか生活していける程度の部分だけが賃金とされ、残りは企業が取り上げ、それが利潤となります。これを搾取と言います。したがってそこでは、病気・失業・老後などに個人が備えることは非常に困難で、社会保障制度で補う必要があります。つまり資本主義社会では、形式的には自己責任が通用するように見えて、実質的には不可能なのです。「年金をあてにせず二千万円をためて資産運用しろ」などという自己責任論は、資本主義的搾取という、この問題の本質を覆い隠しています。労働に基づく所得(賃金)が少ない分を、資産運用というリスクを伴う不労所得で個人的に補え、というのは、社会観・労働観の堕落です。社会保障を充実させ、人々の労働と連帯で助け合うような社会観を広げていくことが大切です。

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      2019年5月3日

     「令和時代」なんてありません

 一九七六年、高校卒業後の春休み、日本近代史の江口圭一先生の講演を聞き、「大正時代とか昭和時代とかいう時代はない」という言葉にガッテンしました。元号で時代を区切るのは間違いなのです。それ以来、年を数えるのに不便だからではなく、歴史認識を歪めるのはダメだから元号は使いません。安倍首相の意向で「令和」は国書の万葉集からとったそうですが、そもそも元号制度は、皇帝が時間をも支配するという古代中国の思想からきており、国民主権に反します。平成から令和になっても、アベが居座り続けている限り時代は変わりません。もっとも、憲法9条を変えれば時代は悪く変わりますが…。時代を良く変えるには、安倍政権を倒して国民本位の政治を実現するほかないです。

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      2019年3月31日

     世の規則をめぐって

 自転車は左側通行である。しかし、実際には右側を走る人が多い。偏見かもしれないが、おばさんはほとんど右だ。対向するとき困る。妙な正義心から左を固守する私だが、ツワモノのおばさんには通用しない。やむなく右に寄って通し、悔しくて一日沈む。「右に負けた」。ときどき横断歩道の横に自転車通行帯が描いてある。しかし大方の歩行者は無視して歩く。だからか、最近それはどんどん消されている。悲しい。日本では歩行者が横断歩道に立っていても車が止まらない、と外国人が新聞投書で批判していた。「律儀な日本人」像はもはや遠い神話だ。規則は守るべきだ。しかし守られない規則を作るほうが悪いという意見もあろう。皆さんはどう思われるか。

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      2019年3月5日

     歪んだ「愛国心」は日本の恥

 一昨年の12月7日、沖縄県宜野湾市の緑ヶ丘保育園に米軍ヘリから部品が落下しました。この事件では米軍が落下を認めていないこともあり、こともあろうに園に対して、「自作自演」とかの心無いバッシングが行なわれました。被害当事者より米軍の言うことを信じる「愛国者」たちの仕業です。米軍機が規定の飛行コースを外れて今も園の上空を飛んでいるのに、日本政府はまったく放任状態です。園児の母親たちの要請にも、言を左右に取り合いません。韓国バッシングなど、アジアには傲慢な政府と右派世論は、米国には全く卑屈です。この奇妙な「愛国心」の横行を許していることは、本土の私たちの恥です。先日、北区で園長と母親たちの訴えを聞いてから怒りが収まりません。

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