これは佐貫浩「今こそ、民主主義を生み出す学校と教育を」のレジュメです |
今こそ、民主主義を生み出す学校と教育を
――危機に対処することのできる教育とは何かを考える――
佐貫浩(法政大学名誉教授)
『前衛』2020年6月号所収
コロナ危機において
「生きるために何が必要か」の問いの噴出
人と人との関係の分断、強力な権力的統制 → 人権・自由・民主主義の危機の可能性
コロナ後の新社会への対決点―― ※1 VS ※2
※1 危機への日々の対応、政策的選択→新社会の鋳型へ:惨事便乗型資本主義
Society5.0(経産省) AI、「個別最適化された学び」(EdTec教育)
教育の民営化、公教育のスリム化
※2 命を守るための新しい共同
生存権・医療ケアの確保 財政の国民的コントロール
そのための国家・自治体・民主主義諸制度の転換点に
(一)危機に立ち向かう教育とはなにか
安倍の独断による一斉休校措置 → 逆に学校の社会的・共同的機能が明確に
学習権だけでなく、人間的な共同を実現する場
貧困対処、栄養の摂取、障がいや発達の困難への特別の支援
そうした公的福祉・権利保障の体制が新自由主義改革によって脆弱化
→ 危機をより深刻化 その反省と機能回復が課題
◎本稿の検討課題
上からの危機対処:統制的管理的なメカニズムの全面的動員
VS
教育の本質に根ざした危機への対処:危機を一人ひとりの主体性や創造性を
飛躍させるものとして働かせる → これが意識的に取り組まれようとしていない
○公教育の支配的性格
今日の競争的な秩序を絶対的条件として受容し、その土台で個々人の競争力を獲得させる
その秩序崩壊への危機対処:既存の秩序を元通りに回復する
○危機に立ち向かう教育
従来の秩序の回復ではなく、危機の根源の克服に向けて
人間の認識や価値判断を吟味・変革・創造し、新しい共同を拓く
課題 e.g. 3・11、地球温暖化、格差・貧困拡大、いじめ(人権の危機)等々……
→ 学校教育はそれらに立ち向かう人間の認識と共同に挑戦できていない
生きる世界の権利主体・歴史形成主体・主権者の育成ができていない
その原因 三つの教育の民主主義が働いていない
★1 何を学び、どんな学力を獲得するかの決定権限:権力と市場が占有
民衆の側から教育の目的と価値を探究する仕組みが緻密に奪い取られている
★2 学校・親・教師が、資本と権力の戦略と目標を自らの目標へと受容し、
その実現を担うメカニズムに組み込まれている
教育の機能を、現代の変革と子どもの主体形成に向けて展開することの断念
★3 学ぶ知識や文化、学び方の中に、批判的社会把握と主体的思考様式が脱落
(二)教育の価値内容はどう決められているのか ――新自由主義がもたらした公教育支配の新たな段階 |
新指導要領:アクティヴ・ラーニング、「主体的・対話的で深い学び」
しかし現実の教育課程や教科書内容が日本社会の直面する根本的な課題になっていない
内容は前提で方法の議論に閉じ込められている
教育への政治的統制の変容!
政治的抑圧から、教育に関わる一人ひとりに支配秩序を「主体的」に受容させる方法へ
→ 人格そのものに強い支配と管理が及ぶ仕組み 学力に関する「三つの改変」
↓
1)グローバル競争に関わる指標として学力が組み込まれる
→ 学力競争に勝つように公教育を組織することが国家の責任
学力の具体的質や内容を政治権力が直接政策化する
→ 憲法上、教育の自由、思想信条の自由の侵害 その警戒が弱まり突破された
2)法的仕組みの改変
2006年 教育基本法改悪
→ 教育政策・行政が「教育目標」に沿って教育の価値・内容に踏み込む
学校教育法(第30条):学力内容の規定
学習指導要領・教科書検定:教基法の「教育目標」の具体化として権威づけ
教基法の改悪は解釈改憲:教育への国家統制の禁止原則を突破
3)内容的価値の統制、改変のための行政的仕組みが緻密に埋め込まれる
@学習指導要領の10年ごとの改定:文科省が教育の目標や価値内容を恣意的に改変
A全国学力テスト:2007年開始、学力競争の全国的組織化
B教師管理の方法:人事考課制度、学力テストへの取り組みを給料格差に反映
C自治体の「教育振興基本計画」:首長と教育行政側から学校目標提起
D職員会議の伝達機関化:学校の自治、教師と学校の教育課程編成権を奪う
E教育実践の全過程へのPDCAシステム導入
★それで学校教育はどうなったか…
主体的批判的認識を育てる営みとしてではなく、
現代のグローバル資本や新自由主義権力の戦略を、
人間=子どもが生きる規範や価値へと内在化させ、
それを主体的な目的として、「機能的」に生きる人間の形成のための、
緻密で効率的な仕組みとして機能しつつある
○全国学力テストの政治的意義
上からの弾圧や干渉ではなく、各個人の競争サバイバルのための支配的価値の
「主体的」受容・内面化の仕組み
○PDCAサイクル(plan,do,check,action 計画・実行・評価・改善の繰り返し)
権力的な価値管理体制の下で、その価値実現の効率性の無限の改善を迫り、
主体性や共同性を搾取する仕組みとして機能
☆(教育目標と価値決定の)民主主義とは何か (→それが緻密に奪われようとしている)
生活しているすべての人々が、社会の現実や歴史の現実、生活のなかで捉え、認識し、
格闘している課題や価値が、教育という場において取り上げられ、
教育の本質に即した形式の下で、教育内容や教育目的へと摂取され、
子どもたちの学びと議論の中心的なテーマになるということ
(三)私たちは、一体学校教育に何を期待しているのか ――私たちの視野を閉ざす世界競争の呪縛 |
コロナ危機が問うもの
今の社会の競争的で「自己責任」的な、市場の論理優先の現状の秩序それ自体
教育の有り様――競争の秩序に依拠した知の習得、人材養成――自体
→ 生活支援やケアの仕組みが止まり、家庭の「自己責任」に
格差・貧困の拡大 ⇒危機拡大の要因、社会崩壊の始まり
危機への対処:共同の回復
社会的・国家的富を生存権保障・医療崩壊阻止・ケアの維持、etc.…に
「3.11」「気候変動」「格差・貧困拡大」を始め、問いはすでにされていたにもかかわらず、競争システムにはめ込まれ、危機を見ないで秩序維持だけを願い、競争に勝ってより多くの富を得ることだけにエネルギーを費やして生きている
→ 危機に競争の手法は無意味 危機への対処:共同、社会変革
★競争秩序維持の仕組み
富の差別的分配システムの安定的維持:富裕層の形成
その階層意識を社会標準とする世論や生活意識を創出し、
生き残り競争にできるだけ多くの人々を動員する
世界競争で日本が勝ち、その秩序の下で自分が勝者であり続けるよう頑張る生き方が主流
その結果、人格的に、
抵抗や批判の認識を媒介として社会変革に向かう主体形成が立ち上がらなくなっている
→ 学校教育:現秩序下でサバイバル競争の場、そのための学力や規範を獲得する場
教育を変えるという認識も要求も立ち上がってこない
e.g. 排外的ナショナリズムの扇動
戦争の反省と世界連帯の教育が激しく攻撃され、表現の自由が脅かされる
◎民主主義は表現の自由と一体
関係者の思いと要求が表現され、共同的判断の形成に参加する → 民主主義が機能
子どもの表現への抑圧
「おまえには価値がない」、「おまえの困難はおまえ自身の自己責任によるものだろう」
「自分の努力の足りなさを棚に上げて批判などできるはずがないだろう」
→ 自己の真実に立脚した表現でなく、関係の奴隷として演じる同調的表現へ
同調圧力を打ち破って主体的表現を取り戻すために 他者による承認とケア
子どもの思いを能動的表現に高めていく教師の役割
☆民主主義の公共性空間の形成:制度が民主的であるかの指標
公教育の土台、学校、教室 → 表現を介した議論によって
生きている人間の思いが議論され合意へと高められていく場
そのような民主主義は必ず社会の課題と矛盾に切り込む力を持つ
(四)学校の知と学び、思考の様式の歪み
(1)主体的な思考からの切り離し
主体的思考の能力がまず必要である、という逆立ちした発想
→子どもたちは、獲得すべき能力と課題を外から与えられ、思考させられ点数評価される
課題が子どもの意欲――競争の意欲――と結合させられる
「正解」に至って思考能力が獲得できたことになる
しかし主体的思考は能力の問題ではない
避けられない課題に立ち至ったとき、誰でも必死に主体的に考える
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では、子どもたちは、自分にとって切実なことを考えていないのだろうか。そんなことはない。いろいろなことに関心をもつのが子どもの本質だ。いや、死に至るほどの悩み――自死に至る可能性をもつような悩み――をもつ子どもたちも多くいる。いくら悩んでも、おかしいと思ってもどうしようもないと考えることを断念した子どもたちも多くいる。さらに多くの子どもがその同調的な関係性に囚われて、自由に考えることを断念した不自由な、表現の自由を奪われた状態におかれている。
しかし競争の教育の中で、それらの関心事は学習と無関係な余計な事柄として無視され、学習空間から排除される。そして現実の課題から隔離された空間の中で、与えられた課題に主体的に取り組む難行苦行を求められ、心ここにあらずの状態のまま学ばされているのである。 105ページ
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(2)人間社会に作用する知の二つの回路
○第一の回路
誰でも同じ「正解」に至る思考を獲得する学習:もちろんとても重要
知を生産過程に組み込み、生産性を引き上げ、社会の富を増大させる
自然科学的知識が中心 機械的生産体系を発展させ、膨大な剰余価値を生産者にもたらす
(資本主義社会では資本)
→ 資本の戦略:高度の知の開発とその技術を使いこなせる人材の育成
*知識基盤社会 資本と国家が知の独占的開発に巨額投資し、
知をめぐるグローバル競争を展開
学校教育の知と学習がその競争圧力と目的に沿って展開される
○第二の回路
人間社会の共同性(人と人との関係、自治と政治、国家間関係など)の実現に直接関わる
公共的な議論の場で検討され、吟味され、合意され、社会のありようへと具体化される
その過程には、表現とコミュニケーション、自治と政治の営みがあり、
民主主義と公共性という方法的価値が貫く
人間の判断から独立した客観的な科学的手続き(第一の回路)だけでは
課題への対処はできない
個々人の知や価値判断の対等性が前提となり、民主主義と公共性の場の形成が不可欠
*この回路の本質的特徴 → 人間の教養の中核をなす
人間存在の根源的な平等性・対等性という正義に立脚して、
一人ひとりが判断主体として合意に参加する
能力の優劣は成立せず、すべての人間の判断は対等で、固有の価値を担い、
個の存在を実現する力として働き交渉し合う
○社会危機への対処:「第一の回路」偏重(新自由主義の知の構造)の是正
「第二の回路」の復権
1)危機への対処で重要なこと:社会制度やそこに組み込まれた価値・規範の組み換え
2)民主主義が実質的に試され、獲得されるのは「第二の回路」
科学的手続きによる真理の獲得だけでは、民主主義を意識させず鍛えない
従来の社会の規範・価値の変革には、
各人の価値判断を持ち寄り論争し合意する民主主義が不可欠
3)個の存在の基盤から提示される主張や判断(誤り等を含むが、人間的価値の基盤)
を基に表現し討議し合意を作り出すのが民主主義
外から真理の基準をあてがうのではない
(五)学校という空間の性格と民主主義
事柄の本質
民主主義の仕組みが教育の制度と仕事から奪われていることだけではない
学校の形成力(教育力)として、
したがって子どもの中に民主主義という価値が立ち上がらなくなっているという問題
○学校が民主主義(共同的に物事に対処していく方法)のシステムになる条件
1)子どもたち一人ひとりの表現を引き出し、その表現をこそ、
人間の尊厳を基盤とした主体性の土台として、学校の生活と学習の土台に据える
2)そこで課題になる諸問題、現実社会の矛盾、それに対処し克服する生き方を
自由に議論することを、学校での「考えること」の基盤に組み込む
3)各自の表現、考え、思考を交わらせ、その議論の中で、
民主主義の回路において知を働かせる学びや議論の経験を、徹底して積み上げる
↓↓↓
一人ひとりから表現される思い・願い・要求・困難が物事に向かう主体的判断の基盤
個の願いとつながった共同、社会のあり方を探求すること
その探究を子どもの学びと結びつけること
→ 学校の学びの中から民主主義を生み出し、子どもたちが民主主義の力を実感する
○多数決主義と区別される本来の民主主義
一人ひとりの判断や選択は間違いうるが、その個人にとっての意味や価値を担っている
それを認め合い交流することで新しい共同を発見していく
単なる少数の拒否としての決定でなく、
より普遍的・人間的な判断が多数化しうる可能性(新しい多数派形成の希望)が基盤
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ポピュリズムの出現の中で、民主主義(デモクラシー)と自由(リベラル)の乖離が議論されるという状況もある。そしてその下で、民主主義が同調的多数者による支配、あるいはその同調を巧妙に組織する権力者の独善的支配を生み出し、個の尊厳や自由が抑圧される危険性が指摘されてもいる。しかしそれは、今指摘してきたような、一人ひとりの個の次元において民主主義が奪われ、機能できなくさせられている事態から生まれるのではないか。民主主義は、本来の性格からするならば、個々人が、自らの感情や固有の判断をこそ共同的検討の場に、共同の新しい質を作るために提出し、新たな合意を作り直すという変革的能動性を発揮するためにこそ、機能すべきものである。安易な、あるいは自分を脅迫する同調を拒否しつつ、真に自由のための共同を作る主体的な思考、判断の方法と力――民主主義の力量――の形成をこそ、学校の学習と生活の目的としなければならない。
109ページ 下線は刑部
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コロナ危機:人々の交わりを断ち、民主主義解体の可能性
しかし今こそ、生存権を支え合う共同の再構築の可能性に挑戦すべき
民主主義的共同の中で人は成長する その民主主義の中に子どもたちを迎え入れたい