これは名古屋古書組合「古書月報」第108号(2010年5月18日付)に掲載されました


          死語辞典

 

 新聞や雑誌に載る書評、特に学術書への書評での有りがちなパターンは以下のようになる。まず内容を紹介し、その学問的意義を力説する。次いで若干の疑問を呈してスパイスを利かせる。しかしながら結論的には、一部に問題があるにしても全体としては大いに読むに値する本だと推奨して終わる。

 もう三○年以上も前になるが、私の学生時代の指導教官は独立不羈(ふき)の理論家であって、このパターンの踏襲を潔しとしなかったのだろう。ある著書について、こっぴどい批判の書評を書いたのである。さすがに多少は気がとがめたのか、文末に「妄言多謝」と記して、無礼を詫びるていさいだけはつけていた。

 何だかこれが印象に残っていた。ずいぶん後になって自分が何かの文を書くはめになったとき、別に批判をしたわけではないが、出来が悪いので最後に「妄言多謝」を使おうと思い立ったのである。念のために国語辞典を引いた。すると「多謝」は「多罪」の誤用だとわざわざ書いてある。つまり「妄言多謝」がよく使われるが、正しくは「妄言多罪」だということだろう。

 ちなみにこの辞書は一九七四年発行の『岩波国語辞典』第2版第5刷で、『広辞苑』のような大辞典ではなく普通サイズのものである。今だにこんな古いものを自家用にしているのが貧乏な古本屋らしいところだが、売り物の棚に並べている第5版第3刷(一九九七年)を見てもこの記述は変わっていない。

 どっちにしても実にささいな話である。「妄言多謝」にしろ「妄言多罪」にしろ、ほとんど見かけないような気がする。駄文を綴る私は「妄言多罪」を愛用しているが、ひょっとすると死語かもしれない。と、思うと、他にもこの辞書、死語累々じゃなかろうか、とささやく声が聞こえる。

 ある、ある。知らない言葉。知ってはいるが近ごろ聞かない言葉。以下は同書からの引用で、※はコメント。

 

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あいろ【文色】様子。ものの区別。けじめ。

 

あおばえ【青蠅・蒼蠅】いえばえ科の大型のはえ。腹が金属のような光沢のある青色。▽うるさくつきまとう者をののしるのに言うことがある。

 

あかゲット【赤ゲット】@赤い色の毛布。A都見物のいなか者。おのぼりさん。▽明治時代に東京見物の地方人の多くが、赤い毛布を羽織っていたから。Bふなれな洋行者。

 

あかチン【赤チン】マーキュロクロームの俗称。▽赤いヨードチンキの意。ただし化学的組成は全く別。

 

あさだち【朝立ち】朝早く旅に出発すること。 (※他の意味は載っていない。)

 

アしきしゅうきゅう【ア式蹴球】→サッカー。▽「アソシエーションフットボール」の略称。

 

あずまコート【吾妻コート】明治の中ごろから流行した、婦人の和服用外套。女合羽を改良したもので、えりはみちゆき・へちまなどで、たけは長い。(※「みちゆき」は「和服用コートの一つ。形は被風(ひふ)に似て、おもに旅行者が着たもの」とあるが「被風」とは何か?それに「へちま」って?)

 

あたじけない(俗)けちだ。いやしい。

 

アナナス 熱帯産の常緑多年生植物。葉は地面からむらがりはえ、縁に鋭い切れこみがある。果実はパイナップルと称し、楕円形でうろこ状をなし、熟すと黄赤色なる。

 

あらみ【新身】新たに作った刀。新刀(しんとう)。▽「身」は刀身をさす。

 

アルヘイとう【有平糖】白砂糖とあめを煮つめて棒状にした菓子。アルヘイ。▽十七世紀ごろ日本に伝来した。「アルヘイ」はalfeloa(ポルトガル語)

 

あをひとぐさ【青人草】民。民草(たみぐさ)。蒼生(そうせい)。人民。国民。▽人がふえて行くのを草がはえ茂るのにたとえて言う。(※「あお」ではなく「あを」。寡聞にして「蒼生」も知らなかった。出生率の低下する昨今、典型的な死語か)

 

あんせん【暗線】物質による吸収のため、スペクトル中に現われる暗黒な線。⇔輝線(※これはねえ、昔も今も物理学とか天文学以外では使わんだろうな)

 

いおう【以往】これより後。以後。▽あやまって、以前の意にも使う。

 

いぎたない【寝穢い】ねぼうである。

 

いし【頤使・頤指】いばって、人を使うこと。あごで使うこと。

 

いたび【板碑】平板石を用いた石塔婆(いしとうば)。室町時代に多く関東で建立された。

 

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 「新解さん」(三省堂・新明解国語辞典)とは別の意味で「岩波さん」もずいぶん人を食っているではないか。これだけ死語にスペースをとっていると辞書としての実用性はどうなのか。いや、今年は名古屋で生物多様性条約の締約国会議が開かれる。「岩波さん」はその精神に立っているのだ。生物だけでなく、消え行く言葉もきちんと記録して残し、日本文化の豊穰さを守ろうとしているのだろう(ということにしておく)。場違いな(と思える)専門語もたくさん収録されている。だけどこれは…、冗談抜きに言って、学問や芸術などの言葉も含めた国語の広がりを、コンパクトな辞書に込めて人々の座右に置こうという志だろうか。ともあれ検索機能の実用性では紙の辞書は電子辞書にかなわない。読み物としての面白さとか教養の元としてのユニークさが求められるのかもしれない。

 「ピンポイントの情報ならネット検索で足りる。思いがけないものを見つけられる場として古本屋には存在意義がある」。ある御同業から聞いた言葉である。ネット社会は無数の点のカオスに過ぎないが、古本屋の棚は面であり立体でありうる。それを構成するコンセプトは店主次第。学術性か、ユーモア性か、形状か、その他いろいろ。古本屋は、思いがけない出会いの演出家でありうるだろうか。 

 それにしても…。クロマグロはまだ絶滅危惧種じゃなかろう。それよりワシントン条約では、不良在庫に埋もれた古本屋を保護してほしい。「商売人失格!」 

 妄言多罪。

                       (刑部泰伸)
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