これは2011年12月12日に書いて、「『経済』2012年1月号への感想」の中にも入れました。


         年金の物価スライド制について

 野田政権は年金受給額の大幅引き下げを画策しています。これに対してたとえば「しんぶん赤旗」12月4日付は、政策的観点から説得力ある反論を効果的に展開しています。私としては、それに加えて問題をしぼって、「物価スライドによる年金引き下げ」そのものが理論と政策の総合的観点からして不適切であることを考えてみます。この主題に関しては、労多くして効少ない議論ではありますが、現状分析の理論的基礎としては広い意義があるのではないかと思います。

政府は「物価が下がっているのだから年金も下げる」という一見もっともらしいことを言います。このもっともらしさをもたらすのは物価変動に対する誤った見方だと思います。そこには高度成長期のインフレと今日の物価下落とを、単なる物価のプラスとマイナスという対称性において捉える錯覚があるのではないでしょうか。確かに結果としてみれば、両者は通貨の購買力の減少と増大という「対照」的な動きを示していますが、原因を分析すると、「プラス・マイナス以外は同じ」という「対称」性はそこにはありません。「対称性の破れ」がある、というよりそもそも初めから対称性はありません。インフレ期には年金を上げたのだから、物価が下がっている今は年金を下げるべきだ、という議論の根底には「対称性錯覚」があるといえます。この「対称性錯覚」の原因の一つが、今日の物価下落をデフレと表現する誤りにあります。インフレとデフレには対称性がありますが、今日の物価下落はデフレではないのです(1)年金の物価スライド制の本来の意味は、通貨価値の増減に応じて年金額を調整するということでしょうが、消費者物価指数はその指標としては原理的に厳密に言えば不適当なのです(2)。物価変動の要因を考えることで(1)と(2)の意味は明らかになり、結論を先回りして言えば、インフレ期に年金を上げることは妥当だが、今日、年金を下げることは適切でないと主張できます。物価スライド制は形式的に運用するのでなく、その真意に照らして運用するべきです。

物価変動の主な要因は(1)通貨価値(2)生産性(3)商品需給の変動です。

1)通貨価値が上昇すれば物価は下がり(デフレ)、下落すれば物価は上がります(インフレ)。不換制下では恐慌を防止するため通貨増発が通常であり(恐慌をインフレで買い取る)、通貨価値が上昇することは普通ありません。松方デフレやドッジラインのように、高度なインフレを収束するための強行策ではデフレが実現しますが、バブル崩壊後の今日の長期不況下では恒常的な金融緩和政策が実施されているので通貨価値が上昇することはありません。したがってそれが物価下落の原因ではありません(今はデフレではない)。高度成長期には成長マネーの散布で通貨価値がだいぶ下落したと考えられますが、今日も緩やかに下落していると見るべきではないでしょうか。それは確言できませんが、いずれにせよ通貨価値については両者で逆方向の動きがあるとは言えません。ただし高度成長期にはインフレが高進し(通貨価値が大きく下がり)、今日では安定的である(少なくとも通貨価値は大きく下がってはいない)という量的差は重要です。

 (2)生産性が上昇すれば物価は下がり、下降すれば物価は上がります。資本主義下では通常生産性は上がり、下がるのは例外的状況なので、これも高度成長期と今日とで量的な差があるとはいえ、逆方向への動きはありません。

 (3)商品に対する需給動向では、需要超過になれば物価が上がり、需要不足(マイナスの需要超過、供給超過)になれば物価は下がります。需給動向は主に景気変動に左右され循環的に動きますが、中長期的に見れば、高度成長期には今日より需要超過が有力であり、今日では需要不足が恒常的です。ここでは両者で逆方向の動きが見られます。

 以上から、おそらく高度成長期の物価上昇は、(2)生産性の急速な上昇によって緩和されつつも、(1)通貨価値の下落を基調として、(3)ときに商品への需要超過をともないつつ実現したと言えましょう。インフレ的成長下での物価上昇です。これに対して今日の物価下落は、(1)ずぶずぶの金融緩和政策によって緩和されつつも、(3)商品需要の深刻な不足によって促進され、(2)生産性の相対的に緩慢な上昇によって助長されることで実現していると言えます。

残念ながら統計的検証はできておりませんが、高度成長期の物価上昇はインフレが主因であり、今日の物価下落は需要不足が主因であると考えられます。

 ここで物価指数の性格を考えます。物価指数は統計値の時系列的比較を可能にするものです。名目値を物価指数で割って実質値を出し、通貨価値の変動をならすものだ、とそれは通常思われています。しかし実際にはその割り算では(1)通貨価値(2)生産性(3)商品需給の変動がすべて捨象されます。たとえば基準年に商品Xの価格が1000円ならば、他の年にどのような価格になろうとも実質値は1000円である、とみなすのが物価指数の考え方です(この場合、名目値がどうあれ、物価指数で割れば実質値が1000円になるように指数は計算されている)。だから実質値は実物基準であり、実物量の増減は反映するけれども、通貨価値や生産性や商品需給がどのように変わろうとも反映しません。通貨価値だけを不変とみなすわけではないのです。逆にいえば、そのような実質値を算出するための除数としての物価指数は、通貨価値・生産性・商品需給の諸変動をすべて反映しています。だからこそ名目値をそれで割ることでそうした諸変動をすべて捨象できます。注意すべきは、物価指数は諸変動の総和を反映するだけなので各変動の構成比は分からないということです。この構成比を判断することが大切であり、通俗的には物価指数は通貨価値の変動だけを反映すると思われていることが問題なのです。

 高度成長期には物価上昇の主因がインフレなので、物価指数は主にインフレによって上昇しています。これに合わせて年金を増額するのは通貨価値の下落に対する正当な補償措置となります。しかし今日の物価下落の主因は商品に対する需要不足なので、物価指数は主に需要不足に対応して下落しています。だからこれに合わせて年金を減額するのは「通貨価値の上昇に対する正当な対抗措置」とは言えず、需要不足への追認となります。ここで物価スライドを発動して年金を減額すべきではありません。

 こういう議論に対して「原因はどうあれ、物価下落は結果としては通貨の購買力の増大になるから、年金の減額は正当である」という反論もありえます。しかしこれは上記のように「需要不足への追認」を容認することになります。今日の需要不足は調整されざる不均衡として、日本経済の失われた二十年を規定しています。このような不均衡の持続を牽引しているのは、賃金の持続的下落です。名目賃金が物価下落を超えて下がることで実質賃金さえも下がっています。生活水準の低下傾向が定着しています。「物価下落による通貨の購買力の増大に応じて、賃金や所得が下がってそれなりに安定している」という状態ではありません。俗に言う「デフレ・スパイラル」の悪循環に陥っています。グローバリゼーションによる「底辺への競争」、株主資本主義による短期的利潤追求を目指した搾取強化などによって、この需要不足は止むことなく推進され、国民経済への縮小圧力が持続しています。このとき「物価スライドによる年金額削減」がどのような政策的帰結をもたらすかは明白です。

価値と価格の乖離の観点にも触れます。商品や労働力の価値は、それぞれの再生産を保障する水準を表現しています。国民経済の再生産はこれを土台としています。もちろん商品価格や賃金という市場価格次元では短期的変動による価値からの乖離が常態ですが、本来長期平均では価値の水準が保持されているはずです。ところが需要不足による物価の持続的下落では、価値からの価格の持続的下方乖離が生じ、国民経済の再生産が困難になっています。

ここで物価指数をどう読むかが問われます。1を切った物価指数で名目値を除して、大きくなった実質値に幻惑される前に、小さくなった物価指数に、構造的な需要不足という日本経済の病理を見るべきでしょう。今日、実質値より名目値の方が実感を反映するというのは、決して恣意的な感想ではなく、「専門家」による誤用を超えた人々の直観があるというべきでしょう。

     参照:拙文「名目値と実質値」

         2011年12月12日

 

 


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