これは、あいち民研(あいち県民教育研究所)「現代における人間形成部会」学習会のレジュメです。「『経済』2021年3月号の感想」のレジュメ化です。


あいち民研「現代における人間形成部会」学習会 2021.4.10

 

       コロナ禍と格差社会・ジェンダー・ケア労働

            刑部泰伸

 

     ケアを考慮する社会像へ

(全日本年金者組合守山支部機関誌「もりやま」20213月号投稿)

 最近、ケアレス・マンという言葉を聞く。元来は不注意な男という意味だが、ケア(看護・介護・育児等)しない男という意味で使われる。経済的に自立している人でも、誰かの世話にはなっている。ケアがあればこその「自立」だ。社会はまさに相互依存で成り立っている。昨年2月、当時の安倍首相は突然、公立小中高校を一斉休校にした。子どもの世話はどうするのか、考えもせずに。ケアレス・マンの所業というほかない。

 コロナ禍で、社会に不可欠なエッセンシャルワーカーが注目されたが、介護・保育・福祉などの労働者は低賃金で冷遇されている。世の男はケアレス・マンからケアフル・マン(注意深い男、転じて「ケアする男」)になり、ケアレス・ソーシャル・モデル(ケアを考慮しない社会像)からケアフル・ソーシャル・モデル(ケアを考慮する社会像)への転換が求められている。

 

1)ケア労働についてのコロナ禍での問題提起

 

  ケア労働とエッセンシャルワーカーの存在・重要性がクローズアップ

    VS それにふさわしくない不安定雇用や低賃金

 

*フェミニストの政治学者による根底的社会変革論

既存の民主主義論への本質的疑義

○これまでの民主主義論の前提:

「対等で自律的な市民が構成員であり互いに議論のためのルールを尊重しあって議論する」○現実:「誰もが依存者でありケアを受け取る存在である」

「自律した成人」:ケア活動を担わない者たち、つまりは「特権的な無責任者」

 → 人間の本性を相互依存性にみる民主主義を立ち上げるべき

 

cf 障害者運動での自立論 (1)ではなく(2)を採る

1)生活保護を受けずに生活するという意味での自助、とりわけ就労による経済的自立を意味する

2)生活保護を含む社会保障給付や他の援助を受けながらも、日常生活の中で主体的に自らの生活を営むことと捉える

cf フランスにおける親支援(「しんぶん赤旗」3526日付)→社会構造と人権意識

 

*社会観の根本的転換 ケア労働の軽視をどう克服するか

 

社会を、市場労働・生産労働者からなる社会として考えることを止める

人は依存するものであることを前提とし、ケアする人を含めたうえで、よりよい社会のあり方を考えていかなければならない → ケア労働を社会を考える中心に据える

 

 

2)経済理論とケア――労働力再生産論を基軸に

 

*三重の意味での自由な労働者

福島利夫「現代日本の女性労働とジェンダー不平等の構造」(『経済』20213月号所収)

 身分的・人格的な自由と生産手段からの自由のみならず

ケアを要する労働力再生産過程からの自由をも暗黙に含んでいた

 労働力再生産の二つ意味

1.労働者自身が自分の労働力を再生産する=衣食住の消費生活をして生き続ける

2.生殖によって子どもをつくり、育て、労働者階級そのものを再生産する

 → 生産・分配・交換・消費を含む経済の全体的把握が必要

 

*社会像の転換

冒頭投稿、男の意識・行動変革:「ケアレス・マン」→「ケアフル・マン」

「ケアレス・ソサエティ」(ケアを考慮しない社会)

→「ケアフル・ソサエティ」(ケアを考慮する社会)

「ケアレス・ソーシャル・モデル」(ケアを考慮しない社会像・社会規範)

→「ケアフル・ソーシャル・モデル」(ケアを考慮する社会像・社会規範)

 

*労働力再生産論における家政学の貢献

 伊藤セツ「女性労働研究と女性解放論、ジェンダー平等」(『経済』20213月号所収)

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世帯員の収入の組み合わせや、収支項目分類も、世帯員が何人で収入を確保し、衣食住にどう収入を配分して次代の労働力を再生産するか、また、消費支出と非消費支出、実支出・実支出以外の支出等の家計統計用語は、労働力再生産の具体的内容を示すものです。個人の賃金は、家計収入になり、個人の労働時間も、24時間の生活時間の家族員の組み合わせで、家族員の労働力再生産時間であるわけで、理論的にもマルクス経済学と関連するものです。 

…中略… 家政学のマーケットバスケット方式の標準生活費の考え方は、経済学の最低賃金算定の計算とよく似ていながら、生活手段の耐用年数とか、食材の栄養価を考慮した献立とか、家事労働の投入とか、家政学の自然科学的側面の研究に裏打ちされて説得力があり、きめ細かく、 …中略… そのきめ細かな研究は、賃金論で最低生活費算定に関心がある社会政策学者を驚愕させもしたものです。              19ページ

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*従来の見方

「ケアをする人やケアを必要とする人を除外して、モノを生産する人のみを市民として据えてきた」

そうした「市民」は「自分がケアを必要とすることを忘れた人びと」であり、

「その議論では、『家』という場自体が社会に含まれていない」

労働力再生産の理論はその批判をクリアし、ケアを含む消費生活過程や家庭を視野に入れた経済の全面的分析を可能にする基礎を据える

 → 資本主義的搾取の究明を目的とする理論だが、歴史貫通的な経済分析にも適用される

 

3)グローバル資本主義の蓄積様式とケア労働

 

*新自由主義時代の新しい家族主義:家族総出で就労し、生活を支える構造

蓑輪明子「ジェンダー平等戦略を改めて考える 女性の労働問題と貧困を克服するために

  (『経済』20213月号所収)

女性労働者の非正規化が進行:正規・非正規を問わない低賃金・長時間労働の構造が定着その原因として、女性が多い(公共)サービス労働の低賃金・長時間労働

同時に男性労働者の非正規化・低賃金化も進行しています。

 

*資本の蓄積構造の変化

グローバル企業本位の資本蓄積構造:労働規制緩和で低賃金・不安定雇用と長時間労働で

労働者を酷使して利潤追求する労働力浪費型雇用が一般化

女性は二重の意味で資本に搾取・収奪される

1.資本=賃労働下で資本に搾取され、

2.社会サービスの抑制と同時に社会サービスの場の利潤追求化による、

ケアをめぐる搾取・収奪 ケアが家内労働であれば収奪、企業でならば搾取

「新自由主義改革の初期の時代」と「現代」とに分けられる

1.新自由主義改革の初期の時代:「資本は家事労働を収奪しつつ、労働者としても女性を搾取する構造」を取る

「本来、資本にとって労働力の再生産が不可欠なはずであるのに、資本制においてはそれに必要な社会的コスト負担を資本が回避するために、家庭内で女性に家事労働を強制してタダで行わせ、女性の家事労働を収奪すると同時に、家事労働を担いつつ賃金労働者として働く女性をより『劣った』労働者として差別しながら搾取する構造」

2.現代的には次のように変化:「資本は女性労働者を差別しながら搾取すると同時に、労働力化により家庭で行うことがむずかしくなった家事や育児・介護を外部化し、公共的なサービスとして行われる場合にはコスト削減をしたり、場合によっては市場化、半市場化したりして、家庭内外で行われるケアに関わる諸活動を収奪・搾取するのである。公共サービス部門で働く女性労働者の長時間・低賃金労働も、家庭での無償のケアの押しつけも、こうした搾取・収奪の中で生じている」

 

*この構造を乗り越える構想の提起

グローバル・新自由主義化以前の日本社会では

年功賃金・終身雇用・企業内福利の揃った日本型雇用による生活保障が標準

しかし非正規化・低賃金化でそれは空洞化し、

賃金だけで生活を賄えという形だけが残り、形骸化

現代の生活困難を克服するための提案

【適正な賃金+社会保障】による所得保障、普遍的かつ無償の社会サービス保障による生活保障システム、適正な労働時間規制  具体的には下記

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例えば、最低賃金が時給1500円程度になり、いつでもどこでもその金額が保障されれば、単身で税・社会保障負担が可能となり、慎ましやかな生活を営むことが可能である。しかし、最低賃金1500円は、単身世帯の最低生活費を基準にした金額であり、失業・疾病による減収、子育てなどの養育費・教育費の発生といった特別需要に対処していくためにはそれだけでは足りない。そのために必要となってくるのが、社会保障による所得保障である。子どもの数に応じた子ども手当、住宅手当、教育、医療・福祉などの社会サービスの無償化及び失業・疾病時の所得保障などが不可欠である。     39ページ

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<補説>ケアの市場化と消費社会化

 

ケア労働は公共サービスとしてもおおむね低賃金であり、市場労働ではさらに低賃金化

その低賃金性(制)は家内労働の無償性(制)を引きずった結果

市場内外に渡ってケア労働があるということがそこには影響している

今日のケア労働者:専門性に矜持を持ち、適切な賃金と労働条件を得る権利を主張

ケア労働では公共サービス分野が大きいということから、

産業別・職種別最賃など政府・自治体がそれを適切に評価する政策を打ち出すことが、

市場内外のケア労働全体の底上げにつながる

家内労働の無償性(制)がケア労働全体の重石になっている現実を逆転して、

公共サービス分野での底上げによってケア労働全体を引き上げる戦略が必要

そうした機運を盛り上げる社会観:

家内労働としてのケアをも含めて尊重する「ケアフル・ソーシャル・モデル」

 

*労働力化の進展によって家内ケアが困難になり、ケアの市場化が進んだ → 消費社会化長時間労働は家庭での消費生活時間を奪う → 生活の空洞化

24時間営業のコンビニは消費社会化の象徴であり、その利用者の行動様式・生活哲学

「テマ・ヒマかけずにカネかける」

バブル破裂ならびに規制緩和・構造改革=新自由主義政策によって低所得の一般化

にもかかわらず長時間労働は変わらない中で、

「テマ・ヒマかけられないからカネかかる」という負担感に転化

いわばこの転落した消費社会において、家内ケアも市場化されたケアも行き詰まり、公共サービスに一縷の望みを託すという状況になっている

これは人々の生活にとってピンチだが、ケア全体と公共サービスの復権に逆転していくチャンスとも言える

 

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<資料> 「しんぶん赤旗」記事(202135121926日)

 

フランスの親であることの支援 安發(あわ)明子(1)

子に同じ機会・権利を

202135日【くらし】 

 中学校の公民の教科書に「日本は平等な国と言われている」と書かれていたことが衝撃的でした。

 1990年代、地元川崎には風呂や鍵や電話がない、夏も冬も一着しか服がない暮らしをしている友達がいるのに対し、私が入った都内の私立中学には、電車に乗ったことも店で買い物をしたり、お金を触ったこともない同級生がいました。地元の友達が車上生活を送り、中絶を繰り返し、アルコール依存症になる一方で、私立中学の同級生は弁護士や医者になっていきました。

 全ての子どもにチャンスがあって、自分のしたいことを実現していくことができる。そんな世の中になってほしいと、児童保護分野に関心を持つようになりました。

 整わない環境の中で子どもが苦しみを抱え、エネルギーを奪われ、自分の幸せを築く余裕のないまま子ども時代を終えるような社会は平等とはいえない。そのようなことを、日本とスイスの施設で暮らす子どもから見た未来や世界観についての本『親なき子 北海道家庭学校ルポ』(出版社・金曜日)に書きました。(ペンネーム島津あき)

 10年前フランスに来ました。好きなところの一つは、お金をかけずに子どもを産み育てることができ、教育を受けることができるところです。

 不妊治療、妊娠検査、出産費用は無料。3カ月からの保育は収入の1割、3歳からは無料の義務教育、大学・大学院も年間授業料は3万円です。奨学金は返済の必要はなく、専門学校や習い事、生涯学習も無料のものがいくつもあります。

 当初の目的ではなかったのに、私は不妊治療で子どもを授かり、大学院に通うことができ、子どもも学問・キャリアもフランスからの頂き物だと感じています。

 フランスの児童保護の国家戦略のサブタイトルは「一人一人の子どもに同じチャンスと同じ権利を保証する」であり、冒頭に「子どもたちのwell−beingは国が守る」とあります。

 フランスの福祉について伝えていきたいと思っています。

 (パリ在住、通訳)

 (金曜掲載)

 

フランスの親であることの支援 安發明子(2)

子のための親のケア

2021312日【くらし】

 日本のニュースで、親に責任を押し付ける風潮を感じるたび、つらい気持ちになります。私自身、子育てについては専門職に言われて気づくことばかり。とてもいい親とは言えません。

 フランスでの妊娠から子育ては常に専門職に囲まれて、助けてもらいながら過ごしていると感じています。

 私たちが移民夫婦で家族も近くにいないことから、産科のソーシャルワーカーに妊娠中からの家事支援の派遣を提案されたり、本人さえ心配していなかったことについて情報提供を受けたりしました。

 産後は処方箋に指示が出され、一日おきに助産師が来て一緒に赤ちゃんの世話をしました。

 赤ちゃんの体重が一定に達してからは保健所のようなところに毎週通うよう言われ、気になることはインターネット検索ではなく私たちのことをよく知っている専門職に聞く習慣がつきました。

 何度も助けてもらうたびに自分が親として初心者であると思い知らされました。専門職というものへの信頼は、助けてもらった経験があるからこそ築かれると思います。

 フランスでは、子どもの福祉を守るため専門職が時間軸においても空間軸においても、何重にも配置されています。産科、助産師の家庭訪問、保健所、3カ月半からの保育園にも3歳からの学校にも児童福祉の専門家がいます。親しくなった心理士さんなどはたびたび電話をくれて、自分では悩みがないと思っていても次々と子どもの気になった反応や夫婦関係についてなど話してしまい、とても支えられていると感じています。

 誰しも思いつく限りの最善の行動をとっている、それでもそれぞれの歴史や状況により凸凹はあるのが人というもの。親というのは簡単なことではない。親が子どもをよりよく育てられるよう親を支えるという福祉が目指されています。

 (パリ在住・通訳)(金曜掲載)

 

 

 

 

フランスの親であることの支援 安發明子(3)

自分を大切にできる

2021319日【くらし】

 娘を産んだ直後の病室で、看護師が娘にあいさつをし、自分の名前を名乗ってから処置の説明をしたことに驚きました。「見なさい、暗くなったでしょ。夜は寝るの。ママは休む必要があるのよ。眠れないときはナース室に来てもいいから、その時は呼びなさい」と、生後数時間の赤ちゃんがルールを教わっている。子どもの人権とは、1人の人間として接することからなんだと気付かされました。

 3カ月半で保育園に入ると、大きい子に押された娘に、保育士は「嫌だったら怒りなさい。伝えないとわからないよ」と教えていました。保育園ではどんなに小さくても過ごし方を自分で選ばせていました。

 安定した人間関係が築けるようになれば、NОと言えるようになる。自分がいきいきと過ごせる場所がどこなのか、自分で判断できるようになる。こうした主張、判断が、自分を守るためにも自分を開花するためにも大事なのだそうです。

 知り合いの中学2年生が学校で面談があるというのでついていきました。勉強のやる気がわかないと彼女が言うと、翌週には近隣や全寮制の中学校の見学が組まれ、翌月、彼女は転校しました。呼び出しの多かった彼女でしたが、新しい学校からの通知には「何事も積極的に、他の生徒も皆こうあってほしいと思うような姿勢で取り組む」とありました。

 また、フランスには子どもが安全に家出することができるシェルターがあります。我慢させることで溝が深まり孤立した人間を作るよりも、子どもと親、子どもと学校の関係を修復することで絆を保つことを優先します。それぞれをケアする期間をとり、環境を整えます。

 子ども自身が「うまくいっていない」と訴えていい。その訴えを聞き入れることで、聞いてくれるおとながいたという経験をし、子どもにとってそれが安心感になることを知りました。

 「子どもは守るべき花ではなく点火するべき火だ」と言います。人々の力を生かす教育、福祉の一つの姿であるように思います。

 (パリ在住、通訳)(金曜掲載)

 

 

 

フランスの親であることの支援 安發明子(4)

「したい」をのばす

2021326日【くらし】

 29歳でフランスに来たとき、ほっとしたのをよく覚えています。子どもがいなくても、キャリアがなくても、「1人で移住、すごいね」「誰も知り合いいないのに、仕事探し頑張ってるね」と、ありのままを受け止めてもらえることが新鮮でした。

 「べき」ではなく「したい」を実現していくことに価値が置かれている、自分の人生を生きることが尊重されているように感じます。その理由は子どものときから自分の過ごし方を選択してきたこと、いろんな価値を持つおとなを見てきたからではないかと思います。

 フランスは3歳から義務教育ですが、6週間学校に行くたびに2週間のバカンス、夏休みは2カ月間、合計16週の長期休暇があります。子どもがどこで何をして過ごすか選択しなければならないのは面倒だと思っていました。しかし、学童保育では毎日、美術館や近郊の森など普段家族で行くとは限らない所に連れて行ってくれます。他にも地域の文化センターやスポーツ施設、各種習い事から選びます。

 2カ月に1回、違った環境でいつもと違う人たちと過ごすことは対人関係の訓練になり、新しい活動に取り組むことで自信につながり、自分の好きなものもわかってきます。

 家族旅行や親戚の家に行く子もいます。家計によっては、家族手当の窓口に申請すると家族旅行代が出ます。

 「自信のない子どもにこそたくさんの経験や挑戦をさせる」「自信がつけば何でも挑戦できるようになる」という考え方で、子どもたちがなるべく多くのおとなたちに出会うことが価値とされています。それができるのがバカンスの時期なのです。

 幼児が友達同士で「君のことすごいと思うよ!」というほめ言葉をよく使います。私はうらやましく感じます。

 親に対する支援者はアドバイスではなく、家族のメンバーそれぞれが望んでいることを明らかにし、その家族にとって一番幸せな形を模索します。

 親になった今も「親」である以前に、1人の人間として認められていると感じます。このような背景の中で培われてきた「相手の生き方や価値を尊重する気持ち」があるからではないかと思います。

 (パリ在住、通訳)

 (おわり)

 

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参考文献

 

ジョアン・C・トロント著、岡野八代訳著『ケアするのは誰か?――新しい民主主義のかたちへ(白澤社、2020年)に対する牟田和恵氏による書評「ケアする民主主義とは」(『世界』20212月号所収) → 以下では「牟田書評」

デボラ・ジニス『ジカ熱――ブラジル北東部の女性と医師の物語(水声社、2019年)、ジョアオ・ビール『ヴィータ 遺棄された者たちの生』(みすず書房、2019年)、エヴァ・フェダー・キティ『ケアの倫理からはじめる正義論 支え合う平等』(白澤社、2011年)に対する奥田若菜氏による書評「格差社会におけるケア労働のゆくえ」(『世界』20213月号所収) → 以下では「奥田書評」、キティ著作は『ケア』と略記

◎刑部泰伸「『経済』20213月号の感想」(2021228日)

 

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