2010年5月17日記 |
経済統計の実質値と名目値
賃金やGDPなどの統計の実質値と名目値との差が大きい。たとえばリーマン・ショック前の10年間(1997-2007)のGDP成長率は実質では15.5%だが、名目ではわずか0.4%となる。通常、実質値が時系列比較の基準とされるが、近年では名目値の方が実感に近いともいわれる。この実感には客観的根拠があり、物価下落期においては経済の実体をよりよく反映する名目値を経済分析の基本にすえるべきであろう。以下、その理由を述べる。
そもそもなぜ現実値である名目値の他に実質値が必要とされたのか。インフレ期において通貨減価の影響を除いた経済活動の実質的動向を把握するためである。そこで現実値を物価指数で除して実質値を出し、現実値は名目値という名称に格下げされた。しかし物価指数で割ると、通貨減価だけでなく物価変動の影響全体を除くことになる。物価変動の主な要因は(1)通貨価値(2)生産性(3)商品需給である。(1)は名目的変動であり、(2)と(3)は実質的変動である。インフレ期と物価下落期とでは各要因の作用の仕方が違う。生産性は期間貫通的に上昇していくものであり、両期間において大差はなかろう。通貨価値はインフレ期においては大きく減価するが、物価下落期においてはあまり減価しない(物価が下がるのだから逆に増価すると思われるかもしれないが、金融緩和が継続されているので増価までしているとはいえない)。インフレ期には商品への超過需要が物価を引き上げるが、物価下落期には超過供給が物価を引き下げる。したがって物価変動の主な牽引力を対照的に見れば、インフレ期には通貨減価と超過需要であり、物価下落期には超過供給(需要不足)となる。また両期間を通して生産性の上昇が物価下落要因として作用する。実質値を算出することはこれらの要因を除くことになる。するとインフレ期の実質値は名目的変動を除いたという点で「実質値」としての意義を有するが、物価下落期の実質値は逆に実質的変動を主に除いたという意味で「実質値」として機能せず、経済の実体を覆い隠す役割を演じている。100以下になった物価指数で名目値を除して高い実質値を出しても、それ自身は現実を糊塗するだけで実質的な意味を持たない。物価下落期の困難は、賃金が下がって生活費に満たないことであり、商品価格が下がってコスト割れの危険性に襲われることである(少子化と自殺増はこうした再生産の危機の表現である)。ここでは幻想的な高い実質値ではなく、まさに現実値である低い名目値を採用して経済実体を直視すべきだろう。物価下落期には、名目値の方が言葉の真の意味で「実質値」なのである。したがって表面的には一貫性がないように見えるが、経済実体を捉えるためには、インフレ期には実質値を物価下落期には名目値を重視して分析すべきである。
**補注**
<1>GDP成長率について。内閣府『国民経済計算年報2009』によれば、実質GDP(2000暦年基準)は1997年度:498兆0876億円、2007年度:575兆3432億円で、名目GDPは1997年度:513兆6129億円、2007年度:515兆8579億円となる。ここから実質成長率15.5%、名目成長率0.4%を算出した。
<2>「物価下落期」という用語について。松方デフレやドッジ・ラインのように高度インフレを収束するために厳しい金融・財政の引き締めが実施される場合はデフレ期と呼ぶことができる。しかし現在のようにずぶずぶの金融緩和が続いている場合にはたとえ物価下落が続いていてもデフレ期とはいえないので物価下落期と呼ぶことにする。物価変動については通貨側要因と商品側要因とを区別することが必要であり、本来的にはインフレとデフレは通貨側要因にかかわる用語である。
<3>実質値の意味を考えるには物価指数の性質を捉えることが必要となる。それについては不十分な内容であるが、拙稿「生産力発展と労働価値論」(政治経済研究所『政経研究』第86号、2006年5月、所収)参照。
<4>物価下落期には名目値をより重視すべきだということは、実質値には意味がないということではない。名目値を物価指数で除して実質値化することは、大ざっぱにいえば、市場価格を物量(サービス量を含む)に還元することである。実質GDPは国内総生産の物量的大きさを表現し、実質成長率は物量的成長を表現するといえる。したがって実質成長率よりも名目成長率が低いということは、物量的成長を市場価格的には過少評価しているという関係になる(おそらく生産性上昇によって説明しうる以上に市場価格は下がっているだろう)。これをどう捉えるかは重要な問題である。貨幣数量説的には通貨量を増やせば解決する、となる。しかしこの間の経験によれば、日銀が資金をじゃぶじゃぶに供給しても物価は上昇しなかったのであり、あくまで実体経済の問題として考える必要がある。また物量的にはそれなりに成長しているから問題ない、ということではない。物価下落幅を上回る名目賃金の切り下げによって実質賃金さえもが低下している。この動きが主導する需要不足によって価格が下落するような生産と分配の構造を問題にする必要があろう。
**参照**
「名目値と実質値」(2010年3月28日) 「名目値と実質値(続)」(2010年5月29日)