これは日本ジャーナリスト会議東海地区連絡会議の『東海ジャーナリスト』71号(2006年6月28日)に掲載されたものです。『経済』2006年6月号の感想を短縮して補正しました。


   朝日新聞はどちらを向いているのか

       疑問多い最近の論調  

   

1.朝日新聞への期待と現状

 

 このところ、学校ですっかり定着してしまったいじめは、個人の尊厳の否定である。個性を否定し、目立つ者がいるとみんなのレベルに引きずり落とそうとする。弱いとみると、つけ込む。「いじめられる者が悪い」などというとんでもない考え方があるが、憲法は、「強くなければ生きていけない」ような、非文化的な社会をつくろうとはしていない。どんな人であろうと、自分の個性を大切にして、楽しく生きていける社会をつくろうとしている。「すべて国民は、個人として尊重される」(憲法一三条)とはそういうことを言っている。

     堀田力「憲法違反な人」(「朝日」夕刊2001年5月2日)

 この間の経済をめぐる言説はどうですか。マクロな経済数値をもてあそんで「人間」を見ず、時流に便乗し世の中を見下して。「市場が淘汰する」なんて、どんな怖い言葉を口にしているかわかっているのか。切実な思いで生きてきた人々に比べ、なんと軽薄な。

 なりわい、営みとしての経済、それを侵すものに怒りを覚えます。

     内橋克人(「朝日」夕刊1999年5月21日)

 いずれも朱玉の言葉だと思う。私はかつてある学童保育所の父母会役員として毎月「父母会ニュース」を出していて、その余白に好きな言葉を引用して読者の好評を博した。色々な本や新聞などから文を拾ったが、「朝日」の夕刊が一番役に立った。それは知性と感動の宝庫とも言える。

 しかし今「朝日」の基調はどうであろうか。堀田氏の観点はいくらかは継承されているかもしれないが、内橋氏の立場はほとんど投げ捨てられている。いわゆるナベツネ路線で「読売」はタカ派色を鮮明にし、憲法改悪の旗振りなどをしてきた。それに対して「朝日」は歯止め役を期待されてきたが、あまり応えていない。政治問題では右傾化の時流に多少は抵抗しているかもしれないが、経済問題では逆に新自由主義の布教紙となってしまった。ナベツネ氏でさえ、小泉首相の後継者の条件として、靖国神社を参拝しないことと並べて、新自由主義の市場原理主義ときっぱり手を切ることを上げているのに…。

 

2.新自由主義を推奨する経済記事  

 

 かつては都留重人氏が「朝日」の論説顧問であった。都留氏は近代経済学とマルクス経済学の双方に通じた碩学で、環境問題などに先駆的に取り組んだ世界的な経済学者である。対して現在、客員論説委員として紙面によく登場するのは、新自由主義の牙城・シカゴ大学の博士号を持つ小林慶一郎氏である。

 3月27日付「小林慶一郎のディベート経済」のテーマは「マネーゲームは悪か」である。小林氏は言う。マネーゲームは善である。なぜなら第一に、買収される企業が非効率だから投資ファンドが利鞘を取れるのであり、投資ファンドの脅威によって企業は非効率な慣行をなくし、消費者や株主の利益になるからである。第二に、金融はリスクを軽減する機能を持ち、グローバルな金融市場のおかげで、個人や企業のリスクは分散され軽減されているからである。ハゲタカファンドは「すでに価値の落ちた企業を掃除してくれている」のであり、これを批判するのは、バブルの発生と崩壊で日本経済をゴミタメにした政財界の指導者の責任逃れに荷担する卑怯な議論である。

 この記事は反共・反人権の雄『週刊新潮』からもヤリダマにあげられているから、左右を問わず多くの人々の気持ちを逆なでしたのだろう。だが「素人の感情論はいけない」。経済学の教科書にはこう書いてある。「投機とはもともと将来の価格にたいする社会一般の予想が正しくないと思われるとき、それを利用して利益を得、かつ結果的には誤った予想による弊害を防止するような行動である」(新開陽一、新飯田宏、根岸隆『近代経済学』新版、有斐閣大学双書、1987年)。なるほど原理的に投機は善行だからマネーゲームは正しいのだ。しかし現実の市場や投機がこんなに牧歌的で有益でないことは、新自由主義を信仰する経済学者以外なら誰でも知っている。いや失礼。新自由主義者だってもちろん知っている。彼らが普通の人と違うのは、汚れた現実を美しい原理で言いくるめる能力を持っていることだ。

  だいたい投機家が正しい予想をするという保証はないし、そもそも何が非効率かをどうやって決めるのか。なにしろ投機の研究でノーベル賞を得た経済学者二人を抱えたヘッジファンドが破綻している。投機家は手っ取り早く利益を出さないと首になるから、目先のことしか考えない。

 岩谷時子作詞、宮川泰作曲の「君をのせて」は、今日では「昭和歌謡」の名バラードとして高い評価を得ている。しかしこれが発売された1971年当時には、あの沢田研二のソロデビュー曲であったにもかかわらず、たいしたヒットにはならなかった。次のロック調の「許されない愛」のヒットに続いて、彼はまさに一時代を築いていくのだが、私の感覚では両作品の後は毒キノコの山のように思える。「君をのせて」が正当に評価されるのにずいぶん長い時間がかかった。初めからヒットしていたら歌謡界全体が別の道を歩んだかもしれない。

 このように、市場がいつも相手にするのは短期であり、彼はまた短気でもある。先々まで考えて選び、じっくり何かを育てていこうとはしない。もちろん時々の市場の声に耳を傾けることは必要だが、それが正義だと思い込むのは危険だ。色鮮やかな毒キノコをつかみかねない。ホリエモンのような。

 音楽はどの道でもそれぞれ一興だが、経済はそうはいかない。株主資本主義といわれる株価至上主義が暴走して、エンロン、ライブドアなど粉飾決算を含んだ日米の企業スキャンダルが起こった。そこまでいかなくても株価至上主義の支配するアメリカではじっくり技術開発に取り組むことは非効率とされ、産業空洞化→国際収支の赤字垂れ流し、となっている。製造業がダメだから金融的術策で儲けているアメリカは世界中にマネーゲームの開放を強要している。それをもっともらしく見せるのが小林氏の議論であり、日本経済には有害無益である。

 今や国際金融市場は巨大なカジノと化している。そこで投機資金の自由な移動を規制しようという動きもあるとき、あえて「マネーゲーム」と合わせて「グローバルな金融市場」賛美の姿勢で読者を「啓蒙」しようとする「朝日」の論調はきわめて特異であろう。

 

3.外報部記者も新自由主義路線か  

 

 4月11日付1面には「仏、新雇用制度を撤回」という見出しが躍っているが、内容的には典型的な偏向報道で、経済部だけでなく外報部もここまで来たかと思わせるものである。

 フランスでは、26歳未満を雇えば理由を示さず解雇できるとする新雇用制度(CPE)に対して、労働組合や学生団体の大規模な抗議行動が続いていた。ついにドビルパン首相は、最近成立した機会平等法からそれを削除する方針を発表した。労働者・国民の大勝利である。ところが「朝日」記者は政府・財界の立場から、労働者や学生の行動を非難している。「いったん雇えば解雇しにくい現行制度。これに風穴をあけない限り企業の採用意欲は高まらず、若者の大量失業は解消できない。だが、この理屈は当事者の学生や労働組合に通じなかった」。

 要するにこうだ。グローバリゼーション下では、国内企業が国際競争に負けたり、海外移転するのを避けるため、人間的な労働への要求を取り下げろ、ドイツもイギリスも労働市場の硬直化を改めようとしている、と。さらにはここまで言う。「不安定でも、まず雇ってもらうこと。CPEは、そこからしか人生が始まらない暴動の主役たちの救済策でもあった」。まったく企業いいなりの議論ではないか。企業にはまともな雇用を確保する責任はないのか。

 ごていねいにも4月28日には後追い記事がある。日本の経団連にあたる仏企業運動のロランス・パリゾー会長へのインタビューである。CPEの挫折について「雇用制度を正面から議論することのタブーが破られ、大きな前進だ」と彼女は評価している。さらに、CPEが失敗したのは年齢層を限ったからで、雇用の柔軟化は全世代で分かち合うべきだ、と主張する。CPEに対して学生・若者だけでなく労働組合が全面的に闘ったのはまさにこの狙いを見抜いていたからだ。それはともかく、この記事では何のつっこみもなく、会長に得々と語らせている。のみならず、余計な言葉まで聞き出している。「日本が経済活力を取り戻した道筋、グローバル化に合わせた国内調整のノウハウは興味深い」。記者は単にグローバルな新自由主義者であるだけでなく「愛国」的な小泉「改革」応援団の一員でもあるのだろうか。

 「グローバル化に合わせた国内調整」と称して労働条件の切り下げだけが喧伝されているが、「ディーセント・ワーク(人間らしい労働)のグローバル化」というILOの方針こそ日本のマスコミは注目すべきである。そうすればフランスでのCPEの失敗という事態を、単にグローバリゼーションからの脱落=経済的失敗、と見るだけで済まないはずだ。逆にその国際的衝撃が、ディーセント・ワークのグローバル化=経済の人間化につながる可能性にも考えが及ぶであろう。事実、欧州労連はいち早くフランスの労働者の闘いに全面的支持を表明したし、フランスの結果を受けてドイツ版CPEも適用を凍結する状況に追い込まれたのである。

 

4.偏った眼で経済を見る危う

 

 庶民感覚からすれば、マネーゲームを賛美したり、すぐに首切りできる雇用制度を支持したり、などというのは合点が行かない。なぜ「朝日」はそんな記事を載せるのか。

 グローバリゼーションは不可避であり、それに合わせて社会と国家を根本的に改造し(「構造改革」)、国際競争を勝ち抜かねばならない。人々の痛みなどにかまってはいられない。日本経団連の奥田会長がいうように、国民全体が「抵抗勢力」となりうるから、それを防ぐために新自由主義の考え方で「正しく導く」必要がある。「朝日」の経済記事から感じられるのは、そうしたエリート主義的使命感である。

 しかしこれではかつて侵略戦争に荷担した新聞と同じではないか。「痛みに耐えよ」という小泉流の檄は「欲しがりません勝つまでは」「贅沢は敵だ」とよく似ている。当時も戦争は不可避と思われていた。しかし他の道はあった。

 新自由主義者は現行のグローバリゼーションのあり方を絶対視し、あたかも自然の過程かのように思っている。多国籍企業の自由の立場から出発すれば当然そう見えるが、それによって押しつぶされる人々の労働と生活の立場からは世界は違って見える。

 ヘッジファンドの仕掛けを直接のきっかけとして始まった、1997年のアジア通貨危機はまさにグローバリゼーションの落とし子で、21世紀型危機と呼ばれた。これに対してマレーシア政府は他国と違って、IMFに従わず通貨管理を強化して危機を克服した。当初は新自由主義に立つ「国際世論」から金融鎖国などと揶揄されたが、結局はIMFもマレーシア方式を是認せざるをえなくなった。

 2001年にブラジルのポルトアレグレで始まり、その後も各地で開催されている世界社会フォーラムは、反グローバリズム運動の中心として「もう一つの世界は可能だ」というスローガンを定着させている。また内橋克人氏の名著『共生の大地』(岩波新書、1995年)には、新自由主義支配に風穴を開ける国内外の優れた実践が多く紹介されている。

 国家には教育の機会均等を実現する責任がある。この点では、新自由主義の「自己責任論」は決して世界標準ではない。日本では大学の学費は家計をひどく圧迫しているが、西欧の大学は無料かそれに近い状態だ。国連人権規約(A規約)13条2項の「高等教育での無償教育の漸進的導入」を日本政府は留保している(A規約批准151ヶ国中、日本、ルワンダ、マダガスカルのみ)。学費が高いのは日本の常識であり、世界の非常識である。

 日本のマスコミでは「世界」とか「グローバル」という言葉はアメリカの支配層を通して見たものでしかないが、実際には「もう一つの世界」があるのだ。それを知らされていない多くの日本人は、労働と生活を押しつぶす新自由主義的なこの現実が必然であって、我慢するしかない、と思い込んでいる。無理な我慢が生活を荒廃させ、社会不安につながっている。マスコミの責任は本当に重い。

 

5.せめて生活と労働の視点にも配慮を

 

 私事になるが、3月末に家族が脳梗塞で入院した。その後、4月8日付オピニオン面で多田富雄氏の「診療報酬改訂 リハビリ中止は死の宣告」を読んだ。そこで今回の診療報酬改訂によって脳血管疾患等のリハビリが発症後180日で打ち切りになることを知り、衝撃を受けた。多田氏は、人間の尊厳を踏みにじる効率至上主義の措置を鋭く告発している。

 4月28日付生活面には「リハビリ日数上限に不安の声」という関連記事が載っている。厚生労働省の言い分と専門医の反論という両論並記であり、政府側の論理もその問題点もわかるよい記事である。患者の立場という視点がしっかりしていることが評価できる。

 残念ながら、こういう優れた内容は「朝日」紙上ではたまにオピニオンや傍流の記事としてあるだけで、全体の基調としては人間の尊厳を踏みにじる経済を支持している。人々の生活と労働から出発するのか、企業の利潤から出発するのか。前者の立場に立ち切れとまでは言わないが、そういう見方がもっと増すべきではないか。経済を見る目をめぐって社会の公器としてのジャーナリズムの根幹が問われているのだ。

 以上のように拙文では経済問題を中心に検討した。他にも在日米軍再編など重要な問題で、「朝日」に限らず日本のマスコミの多くの部分がジャーナリズムの体をなしていない。それだけでなく劇場型政治の先導者となっている。読者・視聴者の批判の声を積極的に上げていくことが必要だろう。幸いにして「朝日」の「声」欄はまだ捨てたものではない。また逆にたとえば格差社会問題に真剣に取り組む記事も見られるようになってきているので、声援も必要であろう。

 なお冒頭の引用文は、文化書房ホームページ(http://www2.odn.ne.jp/~bunka)の「店主の雑文」の「私の選んだ言葉」に掲載されている。思想状況の基本的図式については、やや古いが、同じく「店主の雑文」の「今日の政治経済イデオロギー」を参照されたい。 

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